無知なくせに偉そうに書けていいね、マスコミは
「放射能がくる」
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そもそもこのタイトル自体が、放射能に対して無知であることを示しているんだな。
「放射能」とは、「放射線を出す能力」のことを言う。
「放射線」を出す能力(放射能)を持った物質が、「放射性物資」なのだ。
だから、「放射能がくる」とか言われても、
(゚Д゚)ハァ?
となる。
「能力がくる」ってどう言うことだよw
と。
それを言うなら、「放射性物質がくる」だし、せめて「放射線がくる」だろうと。
そして、「放射性物質」も、「放射線」も、原発事故など無くても、日常の身の回りに普通に存在している。
大地や宇宙からの放射線などは言うに及ばず、人間の体自体にも放射性物質が含まれている。
その放射能は、7000ベクレル程度。
人間の体からも、放射線が出ているということだ。
米、パン、魚、ビールに牛乳などなど、普段口にするあらゆる飲食物に放射性物質は含まれているし、タバコや畑の肥料にも含まれている。
みんなが住んでる建物にもあり、コンクリートは木よりも多くの放射性物質を含むので、木造家屋よりも、コンクリートブロック造の建物は、2倍以上の放射線を発している。
花崗岩なんかにも多く含まれるので、花崗岩の歩道にビルが立ち並ぶ銀座などは、より多くの放射線を発している。
普段浴びてる放射線だけでこれだけあって、飛行機に乗ったり、レントゲンを受けたりすれば、これにさらにプラスされる。
つまり、「能力がくる」は言うに及ばず、「放射性物質がくる」にしたって、「放射線がくる」にしたって、何を今さら、という話なのだ。
原発事故など無くても、普段のときでも、放射性物質や放射線は、身の回りにいくらでもあるのだ。
と言うか、誰の体の中にもあるのだ。
だから、問題にすべきなのは放射線が「来るか来ないか」ではなく、体に影響のあるレベルかどうか、なのだ。
何も無くたって身近にあるんだから、「来るか来ないか」で騒いだって仕方ないのだ。
アエラの馬鹿記者は、都会のビルの中で、たまには銀座などで買い物を楽しみながら、記事を書いているのだろう。
これまで、放射線がウヨウヨしていた中で生活していたのに、何かあると、「放射能がくる」と無知をさらけ出して騒ぐ。
だから雑誌記者など、馬鹿だと言うのだ。
このように、マスコミは、放射能の話に無知。
無知である上に、勉強しようともせず、適当に国民を煽って金を稼ごうとする。
柏崎刈羽なんかでも散々、「放射能もれ」なんて言われ方もしたけど、同じように、「放射能がもれる」なんてことは有り得ない。
「能力がもれる」なんてことは有り得ない。
「放射性物質がもれる」と言うならともかく。
こんなデタラメな言葉を、全国紙でばら撒いて、恥とも思わない、それがマスコミ。
アエラは、「恐怖心をあおる意図はありません」と釈明し、謝罪のコメントを出したという。
だけど、ここで書いたように、「放射能がもれる」という言葉一つで、放射能に無知であることが分かるし、もし「放射能」の意味を理解してなお、こんな書き方をしたとすれば、それはまさしく「恐怖心を煽った」ことに他ならない。
どっちにしても、アエラはロクでもないと云うことになる。
まぁ、もし本当に、「恐怖心をあおる」つもりは無く、素で「放射能がもれる」という言葉に疑問を抱かなかったとすれば、むしろ、「放射能に無知なくせに記事書いてごめんなさい」と謝るレベルだろうね。
まぁ、実際のところ恐怖心を煽って雑誌を売りたかったというのが本音なんだろうけど、この時期にそんなことをする体質が、ロクでもないんだよな。
まぁ、一言付け加えておけば、マトモなマスコミの記者もいる。
でも、害悪をまき散らす無知な記者の影響の方が、はるかに多い感じがするからね。