発起人が別人なら中止されなかったとでも言うのかな

送り火使用中止の薪、陸前高田で迎え火に(読売新聞 - 08月09日)
 東日本大震災で被害を受けた岩手県陸前高田市の「高田松原」の松で作った薪(まき)を「京都五山送り火」(16日)で燃やす計画が中止されたことを受け、この薪が8日夜、陸前高田市で盆の迎え火としてたかれた。
 計画中止について、京都市門川大作市長は、市内の別のイベントで薪を燃やす代替案を提示したが実現しなかったことを明らかにし、「今回の結果は残念」と述べた。

昨日も書いたこの件。
この件では、発起人の問題点が色々と言われているけど、発起人の問題点って何だろうね。

大文字保存会に了解を取る前から、薪づくりを始めたこと?
その時点では確かに軽率だったかもしれないけど、でもこれは後に保存会が受入れを決めたことで消えたよね。

始めから放射能検査をしていなかったこと?
場所が陸前高田でしょ。
発起人自身が陸前高田に行ったときも放射能なんか気にしてなかったようだし。
指摘されるまで気が付かなかったとしても、しょうがないと思うけどな。

というか、陸前高田の物を気にするくらいなら、関東からの物をよほど心配するレベル。
薪を燃やした時の放射能が水源の琵琶湖に落ちて…という可能性を心配するくらいなら、関東の観光客に付いていた放射能が京都に舞って、その辺歩いている人の口に入る可能性だって心配するべきだと思うが。

京都は、関東からの人や物に、放射能検査でも義務付けてんのかね。
関東の物はしてなくて被災地の物は心配だと言うのなら、そりゃ単なる無知から来る偏見だろ。
セシウムは関東にだって落ちてんだからさ。
「被災地=放射能」とか、単純すぎ。


で、他に発起人の問題点って何だろね。

大分県在住だったこと?
芸術家だったこと?
韓国語のHP持ってたこと?

じゃあ、

東京在住で、
慈善団体の代表かなんかで、
英語のHPでも持ってれば、

評価は変わってくるの?

変わるとしたら単なる偏見だよね。


発起人と保存会の間に何があったかは知らないよ。
もしかしたら、発起人の側に色々と不手際があって、問題があって、それが保存会との間に亀裂を生んだの「かも」しれない。

でもそういう不信感が保存会の側にあったとは知らない。
今分かってるのは、検査の結果があるにもかかわらず、放射能汚染を心配する地元の声に配慮して、中止を決めたって事。

保存会が受入れ・中止を決めたってのもさ、背後に抗えない社会勢力の圧力があったってんなら話も別だけど、そういうわけでもないんでしょ。


検査の結果を京都市民は知らなかった、知っていれば京都市民は賛成した、という主張もある。
確かにそういう面はあるかもね。
結果を知っていれば反応は変わった「かも」しれない。

でも、「被災地」と言うだけで放射能と結びつける、検査を要求する。
成分分析の結果でしかない、京都にあっても不思議じゃない、放射性じゃないストロンチウムを見て、放射能危険と騒ぐ。

そういう市民の声に、配慮したってことなんじゃないの。
保存会サイドとしてはさ。

現に、検査結果が分かっている今だって、検査結果は信用できないだの、ストロンチウムが出てるだの、そういう「放射能を心配する声」がある。

検査結果が分かっていてもコレだよ。
検査結果が分かっていても、中止を支持する声があるんだよ。
結果的に、保存会の懸念は当たっていたって事なんじゃないのかね。
保存会が配慮した声ってのは、そういう声なんじゃないのかね。

今は、この件が知れ渡ったおかげで、別の立場の市民から「風評被害を煽んなふざけんな」という逆の批判が出て、世論相対する形になったけど。
まぁ保存会としては板挟みだろうけど。

でもこの件が知れ渡らなかったら、検査結果が出てたって、「信用できない。ストロンチウム危険」と、そういう声に保存会が一人で対応しなきゃならなかったんだろうし。
保存会が配慮した声ってのは、そういう声なんじゃないのかね。


そもそも「検査の結果を京都市民は知らなかった、知っていれば京都市民は賛成した」が本当なら、問題点は、結果を公表せずに中止決定した保存会の部分だよね。

発起人とか、大分とか芸術家とかチョーセンとか、そんなの関係無いよね。

検査結果を知れば京都市民は賛成したんでしょ。
検査結果と発起人が誰かは関係無いはずで、発起人がどうとかも関係ないはず。

問題点は凄くシンプルなんだと思うけどね。
「薪を調べた検査結果がありました。この薪をどうするべきだったでしょうか」
それだけでいいはずだと思うんだけど。

それなのに、大分だ芸術家だチョーセンだって、そういう話を混ぜるのがよく分からないんだよね。
問題点はシンプルなはずなのに、色々な弁解が混ざってくるのがよく分からない。
「検査結果を知れば京都市民は賛成した」と言いながら、ストロンチウムがどうだこうだと、中止決定を支持するようなことを言うのがよく分からない。

京都も被災地も批判したくない。されたくない。
そうだ、発起人を批判しとけばいいんじゃね?みたいな。
ここにあやしい奴がいますよ、みたいな。
そういう気持ちが透けて見える感じがするんだよね。

発起人がどうだって、
受け入れて中止したのは保存会だし、
被災地と放射能結びつけたのも一部の市民だし、
陸前高田の薪を検査しろってなったのも一部の市民の声だし、
検査結果が出た今になってもストロンチウムがって言ってるのも一部の市民だし。

もし仮に他の状況が一緒で、発起人だけが変わったとして、発起人が別人なら、中止されなかった、そのまま燃やされたとでも言うのかなぁ。
多分そうじゃないよね。
やっぱり放射能への不安を配慮して中止だよね。

まるで、話を逸らされてるみたいな感じがするんだよなぁ。