花火を打ち上げることで子供がどれくらい被曝するか計算してみようか
■福島の花火玉、セシウム微量…日進市が検査結果 (読売新聞 - 09月27日)
愛知県日進市の花火大会で福島県川俣町で製造された花火が打ち上げられなかった問題で、市は27日、花火玉の放射性物質を検査した結果、「微量のセシウムが検出されたが、人や自然への影響はないと判断される」と発表した。
また、同市議会は26日夜、本会議で「福島県民、川俣町の皆さまに計り知れないご迷惑と痛みを負わせ、市議会としておわびする」とする決議案を全会一致で可決した。
市によると、花火玉から一部でセシウム134が1キロ・グラム当たり32〜37ベクレル、セシウム137が同25〜36ベクレル検出されたが、表面放射線量の異常値は確認されなかったという。萩野幸三市長は「安全性の確認を市民に知らせ、花火大会の実行委員会とともに、再度、打ち上げを計画する」とコメントした。
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ええ、毎度バカバカしい騒動で、相手するのもバカバカしいのだが、
「微量でも検出されたら危険」といういつものバカバカしい意見も散見されるようなので、
このバカバカしい騒動がどれくらいバカバカしいかを数字的に掴むために、
計算するものバカバカしいと思いながら、計算してみることにする。
ええと、今回問題となった福島県内で製造された花火は80発。
で、聞くところによると、80発の内訳は、4号玉が10発、3号玉が70発とのこと。
4号玉は直径11.4cm、重量0.55kgで、3号玉は直径8.6cm、重量0.23kgくらい。
で、この花火の玉皮からのみ、セシウム134が32〜37Bq/kg、セシウム137が25〜36Bq/kg検出されたと。
(玉皮以外からは不検出)
玉皮と言うのは、花火玉の一番外側の包み紙のことで、段ボール紙なんかを張り合わせて作られたものらしい。
そもそも、花火が1発1キロも無いので、この時点で1発あたり36ベクレルも無いことが分かる。
問題は、玉皮の重量がどれくらいあるかだが、これはどうもハッキリしない。
ただ、書いたとおり玉皮というのは段ボール紙なんかを張り合わせて作った花火玉の一番外側の包み紙のことなので、実際花火玉の10分の1も無いだろうと思うし、10分の1も見ておけば多すぎるくらいだろうと思う。
そこでこの計算では、玉皮の重さをそれぞれの花火玉の10分の1、すなわち4号玉で0.055kg、3号玉で0.023kgと見込む。
そうすると、全ての花火玉に最高濃度のセシウムがあったと、実際には有り得ない過大な想定をすると、1発あたりの放射能は、以下のようになる。
【4号玉】セシウム134:2.035Bq、セシウム137:1.98Bq
【3号玉】セシウム134:0.851Bq、セシウム137:0.828Bq
次に、花火の爆発によってこれがどれくらい拡がるかを考えてみる。
正直、花火の爆発力で原子や分子がどこまで飛ぶかなんて知らない。
なので、ここでは仮に、花火の開花直径まで拡がって、それがそのまま地表濃度になるとする、思いっきり厳し目の仮定を行う。
4号玉の開花時直径は110m程度、3号玉の開花時直径は60m程度なので、4号玉の拡散範囲を9500平方メートル、3号玉の拡散範囲を2800平方メートルとする。
もちろん実際は、爆発の勢いで花火の開花直径よりも大きく飛び散るだろうし、上空方面に飛んだものは風に流されてどこかへ行ってしまうだろう。
9500平方メートルとか2800平方メートルとか、そういう狭い範囲に花火に含まれていた放射性物質がそのまま降ってくる訳は無いのだが、まぁ条件をかなり厳し目に見込むことになるので、これでいいだろう。
次に、計算対象は幼児とし、幼児が2時間、花火の開花直径の範囲内で花火を見ていたとする。
そうすると、幼児が花火の火球の真下で見ていることになり、現実的には有り得ないのだが、まぁ条件的に降ってくる放射性物質を過大に見込む条件になるので、もうこれでいいだろう。
さてそんなわけで、計算の条件は揃ったので、いよいよ計算に入っていく。
まずは、セシウム134・137の地表濃度を求める。
これまでの計算条件で行くと、4号玉10発と3号玉70発の爆発による地表濃度は、以下のようになる。
【4号玉 10発】
セシウム134: 0.00214 Bq/m3
セシウム137: 0.00208 Bq/m3
【3号玉 70発】
セシウム134: 0.02128 Bq/m3
セシウム137: 0.02070 Bq/m3
4号玉と3号玉の分を合計すると、以下のようになる。
セシウム134: 0.02342 Bq/m3
セシウム137: 0.02278 Bq/m3
ちなみに、一般住民が暮らす場所での法令での濃度限度は、
セシウム134: 20 Bq/m3
セシウム137: 30 Bq/m3
となっているので、もう被曝量はお話にもならないと思うが、計算を続ける。
上で求めた地表濃度から、被曝線量を計算する。
まずは外部被曝から。
空気中の濃度に対する実効線量係数は、以下の通り。
セシウム134: 3.4×10^−4 (mSv/h)/(kBq/m3)
セシウム137: 1.3×10^−4 (mSv/h)/(kBq/m3)
これに上で求めた地表濃度を乗じると、2時間分の外部被曝線量は、
セシウム134: 0.0000000080 mSv
セシウム137: 0.0000000030 mSv
次に吸入による内部被曝。
幼児の呼吸率は、座っている状態で 0.32 m3/h だから、2時間見ていたとすると、吸入によって摂り込むセシウムの量は、
セシウム134: 0.01499 Bq
セシウム137: 0.01458 Bq
吸入による幼児の実効線量係数は、以下の通り。
セシウム134: 2.3×10^−5 mSv/Bq
セシウム137: 3.7×10^−5 mSv/Bq
上で求めた、吸入によるセシウム量を乗じると、内部被曝線量は、
セシウム134: 0.0000003447 mSv
セシウム137: 0.0000005395 mSv
ということで、花火の真下というありえないくらい近い位置で、花火を2時間見ていた幼児の被曝線量は、内部被曝と外部被曝を合わせて、
セシウム134: 0.0000003527 mSv
セシウム137: 0.0000005425 mSv
合計 : 0.0000008952 mSv
となる。
始めに断ったと思うが、これでも、玉皮の量を大目に見たり、飛び散る範囲を小さく見たり、被曝量が過大になるように設定した数字。
ちなみに、人間は自然界からも放射線を浴びているわけで、食物分を除いた、大地や呼吸からの被曝量は年間2.13mSvなので、これを1日当りになおすと0.0058mSv。
この大地や呼吸からの1日当りの被曝量と、今回の花火を有り得ないくらい近い位置で2時間見た場合の被曝量を比べると、以下のようになる。
大地や呼吸/1日: 0.0058 mSv
有り得ない2時間: 0.0000008952 mSv
この花火を見ることで、だいたい自然界から1日に受ける被曝量の、6500分の1くらい被曝することになる。
6500分の1という数字は一応、これでもかなり過大に見込んだ数字ではあるけれど。
「微量でも放射性物質がある以上は危険性があるのだから、使うべきではない」
という声があるわけなんだが、過大に見込んでも1日の6500分の1の被曝量なんだが、これでもやはり、「危険性が〜」となるのだろうか。
まぁそんなわけで、自分としてはいつも言ってることなんだけど、
「放射性物質がどれくらいの量あるか」
「どれくらいの危険性があるか」
という、そういう量の概念の判断を抜きにして、放射性物質が「有るか/無いか」で考えたところで、それは意味の無いことなんだよ。
微量でも「有るか/無いか」と言い出せば、福島で原発事故が起きる前から、微量とは言え様々な食物にも、その辺の土にも、放射性セシウムは含まれていたわけで、日本人は元より、世界中の人間の体内にセシウムがあっても不思議じゃない。
放射性セシウムがあっても不思議じゃない以上、世界中の人間の体からは、微量とは言えセシウムからのガンマ線が外に出て、道や電車ですれ違う他人に当っていたろうし、外出先でトイレに入れば、微量とは言え外出先にセシウムを撒き散らしてきたわけで。
ゼロでない以上、微量でも存在する以上、放射線を拡げるべきでない、放射性物質を撒き散らすべきでないというのなら、そういう人は、家から極力一歩も出ずに生活していくべきと、そういう結論にならざるを得ないんだよ。
当然、福島の花火はもちろんのこと、東京からの人も物も何もかも、移動させては危険だし、その人が東京に行って電車に乗るのも、トイレに入るのも危険と言うことになる。
毒性学では、あらゆる物質には毒性があると考える。
水でも塩でも砂糖でも、量によっては毒になるし、人は死ぬ。
大切なのは、どの程度の量かという危険性の評価であって、ゼロかゼロで無いかという分け方は、危険性を考えるのに何の意味も無い。
と私は思う。
※例によって短時間でササッと書きました。後で見直して間違っているところがあったら修正します。