国の宝を使い潰す国

■自殺のワタミ社員、一転して労災認定(読売新聞 - 02月21日)
 居酒屋「和民」を展開するワタミフードサービス(本社・東京都大田区)の女性社員(当時26歳)が2008年に自殺したことについて、神奈川労働者災害補償保険審査官は「(自殺は)業務による心理的負荷が原因」として、遺族の労災申請を認めなかった09年7月の横須賀労働基準監督署の処分を取り消し、労災と認める決定をした。
 決定は14日付。
 決定書によると、女性社員は08年4月に入社し、神奈川県横須賀市の店に配属されて調理を担当。最長で連続7日間の深夜勤務を含む長時間労働や、休日に行われるボランティア研修に参加するうちに精神障害となり、入社から約2か月後の同年6月、自宅近くのマンションで飛び降り自殺した、とした。4〜6月の時間外労働時間は計約227時間だった。

昔々の戦争中の話。
イギリスの士官(軍隊のリーダー)は、インドなどの、植民地の兵士で構成された軍隊を率いた。
植民地で強制的に集められた兵だから、当然やる気は高くない。
不利になれば逃げ出すし、食料が少なければ真面目に戦わない。

こういう兵隊に戦闘力を発揮させるためには、作戦を考え補給を整え、兵士達のやる気を損なわないようにしないとならない。
だから、こういう士官達は、自然と指揮官としての能力が磨かれる。

いかに効率的な作戦を考えるか、いかに補給を整えるか、いかに兵士に休養を与えるか。
それが、軍隊の戦闘力に直結するのだから。


一方、日本の兵士は、やる気が凄く高い。
不利になっても逃げ出さないし、武器が無くても、食べ物が無くても、這いつくばってでも戦い続ける。
こういう兵士を率いる士官には、植民地軍を率いるような苦労は少ない。

作戦がマズくても、食料が無くても、休養を与えなくても、兵士達は必死で戦ってくれる。
だから指揮官達は、根性論や精神論を唱えるだけで戦闘力を発揮できる。
なので逆に言えば、指揮官としての能力はそれほど磨かれない。

むしろ、兵隊の尻を叩くとか気合を入れるとか、本来は下士官(現場主任)のやるような仕事を、士官達も自分の仕事だと錯覚するようになる。
結果的に、日本社会では、上から下まで根性論・精神論が幅を利かせると言うか、本来の意味でのマネジメント能力、指揮・経営能力が育ちにくくなる。

これは、日本の兵隊が優秀という、本来なら嬉しいことの結果としてそうなってしまうわけで、現場が優秀すぎるが故に優秀なトップが育たないというこの関係は、皮肉と言うほか無い。


さて、一見、ワタミ問題とは無関係に思えるこの話は、現代にも繋がっている。

日本の労働者が優秀という、本来なら喜ぶべきことの結果が、現場の主任から経営のトップまで根性論・精神論が幅を利かせ、ともすればそれが経営だと錯覚されることに繋がってしまっている。

ワタミとか言うタイプの会社も、そういう、根性論・精神論とマネジメントを取り違えた会社なのだろう。


逆から言えば、ワタミのような精神論的経営が許されてきたのは、日本の労働者が優秀であるからに他ならない。
罵倒されても給料が安くても、どんなに過酷な労働環境でも、這いつくばっても働き続ける。
そういう、世界的に見れば物凄く特殊なタイプの労働者の国であるからに他ならない。


他の国で、労働者をモノのように使い捨てれば、サボタージュされ訴訟を起こされ、会社の前でデモを起こされ、マトモに商売が出来なくなるのが関の山だろう。
日本という、労働者が奇跡的なまでに優秀で辛抱強い国だからこそ、ワタミのような稚拙な根性論・精神論的経営でもやってこれたのだ。


ワタミがここまでやって来れたのは、経営手法の中身以外にも、そういう日本の国民性、日本の労働者の優秀性に負うところも大きい。
ところが、それをまるで経営者の功績であるかのように勘違いし、労働者を使い捨てるようになると、大いなる錯覚と言うべきなのだろう。


「日本は資源の無い国だから、人材こそが国の宝だ」
などと言い、理想論を掲げて教育にまで手を出しておきながら、やっていることは人材の使い捨てというのは、大いなる矛盾だし、人材を宝とする日本においては、亡国へ向かう道と言うべきだろうか。


別記事では、このような話もある。
http://nikkan-spa.jp/157052

「従業員もストレスが溜まるせいか、モラル自体も低くなっていて社員がアルバイトにレイプまがいのことをするなんてこともありました。また、電車で痴漢した社員もクビにはならずに降格で他店に回されるだけとか、店長が売り上げをごまかして不正に給料を受け取っていても不祥事が外に漏れないようにするためか、大きなお咎めはありませんでした。」
(和民系列店元アルバイト)

「ランチタイムがある店舗だと、朝9時に入って翌朝6時までのシフトも普通にあった。だから、必然的に店に泊まりこむことも増えて、調理場は洗い場として洗髪歯磨き髭剃りは日常でした。ある店舗では店の近くに社員同士でお金を出しあって部屋を借り、仮眠部屋&やり部屋にしていたりしました(笑)。正直、表沙汰にならないのは、ワタミより巧妙に隠蔽しているからじゃないかと思う」
(某居酒屋チェーン店元アルバイト)

ここ数年、ワタミといった居酒屋チェーンが成長してきたことについては、

「民間の知恵」
「民間の活力」

などと言われて、テレビや雑誌などで持て囃されて来たわけだが、その民間の知恵や活力の現実の姿が、人材の使い捨てであり、違法行為の隠蔽や、不当行為の積み重ねであったとしたら。

輝かしく見えた民間企業の成功の本質が、労働者の悲しみの上に、根性論・精神論を唱えた経営者が胡坐をかいてきたものだとしたら、それはまさに、亡国への道と言わずして何なのだろうか。

散々に人材を使い潰してきた、あの戦争と、一体何が違うと言うのだろうか。

栄養失調で倒れる兵隊の前で、
「弾丸が無くなれば銃剣で、銃剣が無くなれば腕で、腕もなくなったら足で、足もやられたら口で噛みつけ」
と、延々1時間以上も演説し続けた能無し将軍と、一体何が違うのだろうか。

ワタミや居酒屋チェーンの成長は、優れた経営手法があったからだ、と言うのであれば。
成長の本質が、優れた経営手法の故だったと言うのであれば。
違う国へ行っても、その経営手法で成功できるはずだ。

イギリスへ行って、フランスへ行って、同じ経営手法でやってみるがいい。
その時こそ、本当に経営手法が優れていたからなのか、単に日本の労働者に甘えていただけなのか、それがハッキリするだろう。


※旧軍の士官が、作戦立案や兵器運用、補給確保に心を砕かなかったという趣旨ではありません。士気の低い植民地兵を率いることと、士気の高い日本兵を率いることを比較すれば、植民地兵を率いる方が、より兵士の戦闘(労働)条件に心を砕く必要があったし、士官の配慮もそこに多く割かなければならなかったとの趣旨です。

※旧軍の精神論・根性論については、貧しい者が豊かな者と戦わざるを得ない以上、物資を求めても無いものねだりで、結果として精神論・根性論を唱える以外に方策が限られていた、との面はもちろんあると思っています。ただ、豊かな国となった今の日本で、それと同じ手法を採る必要性は全く無いとの趣旨です。
そんなものは、貧しい者が豊かな者と争わなければならない場合の非常手段であって、豊かになった状況でもそれを部下に求めるというのは、単なる上層部の甘えに過ぎないとの趣旨です。