「全畑検査」や「全農家検査」ならできるのか

「全数検査」が無理なことだと分かると、次は「全畑検査」と言い出す声がある。

そんなわけで、「全畑検査」が可能かどうかを考えてみる。

まず、畑はいったいどのくらいあるのだろうか。
福島・宮城・山形の南東北3県と、関東の畑を考えてみる。

平成22年耕地及び作付面積統計(農水省)によれば、この地域にある畑の作付(栽培)延べ面積は、全体で299,740haとなる。
畑1枚当たりの平均的な面積の数字はないので、農地改良の際に目標とされる0.3haを仮に1枚当たりの面積として考えてみれば、約100万枚の畑がある計算になる。
(0.3haは目標値で、実際にはもっと小さい畑も多いので、畑の数はもっと多いと思われる)

このうち、どれくらいを検査できそうか考える。
牛の全頭検査の話では、山形県の場合、最大で年間1万件程度が検査の限度だった。

今回、全部で10都県あるから、単純に10倍で10万件、その他、国の機関や民間機関もかき集めるとして、余裕を見て1.5倍で、年間15万件検査できるとしよう。

そうすると、100万枚の畑のうち、最大で15%しか検査できない計算になる。
もちろんこの計算は、牛へ振り向ける検査能力の全てを野菜に回す計算になっているので、当然、牛や魚に振り向ける能力は無くなる。

牛や魚の検査拡大を諦めるという、現実的でないケースを想定したとしても、畑の15%程度しか検査できない。
さらに、この計算は畑のみであって、「田」分は計算に入っていない。
今後必要になる稲の検査を考えれば、検査できる割合は当然もっと小さくなる。
とても「全畑検査」は無理だろう。


結局、「全畑検査してから出荷しろ」と言うのであっても、それは、

南東北・関東は食料の生産活動をやめろ】

と言うに等しくなる。


念のため、「全畑」ではなく、「全農家」なら可能なのか、それも考えておこう。

2005年農林業センサス(農水省)によれば、南東北3県と関東の農家数は、約70万戸。
年間15万件検査可能という、余裕を見た検査能力で考えても、全農家の20%程度しか検査できない。

年間販売金額が50万円以上の農家に限ったとしても、50万戸以上ある。
この場合で考えたとしても30%程度。
(もっとも、全数検査を求める立場であれば、売上げが少ない農家は除外していい、とはならないはずだが)

しかも、農家と言っても、1年で1つの作物を1回しか作らない訳ではなく、複数の作物を色々な時期に作るのだから、それら全てを補足しようと思えば、1戸の農家を複数回検査しなければならないはずで、結局、検査すべき50万戸や70万戸が何倍にもなる。

まして、机上の計算で20%や30%の農家を検査できると言っても、作物を作る農家の側からしてみれば、検査機関の空きに合わせて作物を作るというのは無理なわけで。
検査待ちの間に出荷時期を過ぎれば、商品価値が無くなるわけで。
検査待ちの間、畑に置いておくというのは無理なわけで。
そんな高リスクの栽培を、誰もやりたがらないだろう。

結局、この場合でも、「全戸検査してから出荷しろ」と言うのであれば、それは、

南東北・関東は食料の生産活動をやめろ】

と言うに等しくなる。



ちなみに、本当に「全数・全畑・全戸検査してから出荷しろ」となって、実質的に南東北・関東の農業生産が終了した場合、どの程度の影響があるかも考えてみる。

平成21年生産農業所得統計(農水省)によれば、南東北3県と関東の農業産出額は、約2兆2000億円となり、全国の農業産出額の約27%を占める。
単純に言って2兆円以上の売上げが無くなり、日本の農業生産の4分の1以上が消滅する計算になる。

普通に考えれば、無くなった分の食料は別のどこかから調達しなければならないわけだが、西日本や北海道などで増産するとしても、日本の4分の1の農業生産が消滅してしまってはカバーしきれるものでは無いだろうから、その分は外国から買うことになるのだろう。

ちなみに、前回の日記に書いたとおり、西日本からだろうが外国からだろうが、残留農薬検査などもサンプル検査であって、全数検査で無いというのは同じだが。

全数検査論とは、結局のところ、【南東北・関東は食料の生産活動をやめろ】と言うのと等しいし、【外国からの輸入を増やせ】と言うのと等しいことだと思うのだが。


それから、軽い疑問なのだが、例え「全畑検査」をしたとして、畑からホウレン草やキャベツを1つ引き抜いて分析したとしても、畑に植わってる野菜全体の1%にもならないだろうし、99%以上は分析できないままになると思うのだが。
結局それはサンプル検査と同じであって、「全畑検査」と言っても、それはサンプル数を増やせと言っているのと同じと思うのだが。

南東北・関東の農業生産を事実上終了させ、外国からの輸入を増やすことの引き替えに得られるものが、サンプル検査のサンプル数の増加なのであれば、私にはそれは意味のあることには思えない。