薪を燃やすことで子供がどれくらい被曝するか計算してみようか

まず始めに言ってしまうと、「検出=危険」という発想そのものが、風評被害なんだが。

さて、京都市は「科学的根拠に基づき、誠に残念だが断念せざるを得ない」と説明している。


送り火用被災松からセシウム 一転使用中止 京都市発表
 京都の「五山送り火」で、東日本大震災津波になぎ倒された岩手県陸前高田市の松でできた薪(まき)を燃やす計画で、京都市は12日、市が取り寄せた薪500本について放射能検査をした結果、放射性セシウムが検出されたと発表した。市は記者会見で「科学的根拠に基づき、誠に残念だが断念せざるを得ない」と説明。16日の五山送り火で燃やすことを中止するという。
 市によると、薪の表皮から1キログラムあたりセシウム137が588ベクレル、セシウム134が542ベクレルの放射性セシウムがそれぞれ検出されたという。
 この問題では、放射能への不安の声が一部の市民から寄せられ、大文字保存会が被災松の受け入れをいったん中止。そこで市が別の薪を取り寄せ、大文字をはじめとする五山の各保存会が送り火で燃やすことを了承していた。
http://www.asahi.com/national/update/0812/OSK201108120098.html
(記事は現在は改変されています)

だが、薪の表皮から、セシウム137が588Bq/kg、セシウム134が542Bq/kg検出されたからといって、どのくらいの危険性があるというのだろうか。
京都市は、どのような科学的根拠に基づき、それを危険と判断したのだろうか。

実際に薪が燃やされれば、周辺住民にどれだけの健康影響があったのだろうか。
記事には、京都市が危険と判断した科学的根拠は示されていない。
本来は計算するまでもないのだが、今回の記事を見て、さすがに呆れ返ってしまったので、薪が燃やされればどれだけの健康影響があるというのか、試しに計算してみよう。


まずは諸条件を確認しよう。
今回の薪の検査結果は、表皮からのみ、セシウム137が588Bq/kg、セシウム134が542Bq/kgというものだった。
1本の薪にどれくらいの表皮があるか定かでは無いが、1kgを超えることは無いだろう。
そこで、“多目に見るとして”1本の薪に1kgの表皮があったと考える。

そうすると、薪は500本あるので、全部の薪の放射能は、セシウム137が294,000Bq、セシウム134が271,000Bqとなる。

これが大文字山で燃やされる。
実際は、燃やされたとしても、含まれているセシウムの全てが空気中に拡散するとは思えないが、“多目に見るとして”これらセシウムの全てが空気中に拡散したとする。

大文字山の火床は標高465.4mなので、放出高を465mとする。

健康影響を考える地点として、京都府庁などがある、大文字山から直線距離で5km程度離れたポイントで考える。
ちなみに、もっと近い、1.5km付近から住宅地がはじまっているじゃないかと思われる向きもあるかもしれない。
始めに言ってしまうのだが、放出高の関係で、1.5km地点では、地表のセシウム濃度を計算すると、小数点以下のゼロが100個以上付いてしまうので、とても書ききれないので5km地点で勘弁して欲しい。

それから、風の状況だが、なるべく拡散せず遠くまで届く状況を想定するため、大気安定度をF、風速を1m/sとする。


さて、このような条件で計算を行う。
なお、計算は、「発電用原子炉施設の安全解析に関する気象指針」(原子力安全委員会)の拡散式を参考に行う。

拡散式の基本式は以下の通り。

χ(x,y,0)=Q/(π・σy・σz・U)×exp(−y^2/2σy^2)×exp(−H^2/2σz^2)

但し、
Q :放出率(Bq/s)
U :風速(m/s)
H :放出高(m)
σy :y方向の拡がりパラメータ(m)
σz :z方向の拡がりパラメータ(m)

ここで、大気安定度をFとしていることから、σy、σzは以下のように求めた。
σy = 145.7512
σz = 34.6733


以上により、5km先でのセシウム134、セシウム137の地表濃度を求めると、

セシウム134: 0.000000000000000000000000000000000000015 Bq/m3
セシウム137: 0.000000000000000000000000000000000000016 Bq/m3

となる。
ちなみに、エクセルでは小数点以下のゼロは30個までしか表示してくれないので、ゼロは打ちながら数えた。
多分、37個あるはずなので、確認してみて欲しい。


ちなみに、一般住民が暮らす場所での、法令での濃度限度は、

セシウム134: 20 Bq/m3
セシウム137: 30 Bq/m3

となっている。
この時点で、もう被曝量はお話にもならないと思うが、計算を続ける。


上で求めた5km先での地表濃度から、被曝線量を計算する。

まずは外部被曝から。
空気中の濃度に対する実効線量係数は、以下の通り。

セシウム134: 3.4×10^−4 (mSv/h)/(kBq/m3)
セシウム137: 1.3×10^−4 (mSv/h)/(kBq/m3)


これに上で求めた、5km先での地表濃度を乗じると、1時間当たりの外部被曝線量は、

セシウム134: 0.0000000000000000000000000000000000000000000051 mSv/h
セシウム137: 0.0000000000000000000000000000000000000000000021 mSv/h


次に内部被曝
一部で心配されている、吸入による内部被曝を、幼児をモデルに考えてみよう。

幼児の呼吸率は、座っている状態で 0.32 m3/h だから、5km先で大文字焼きを2時間見ていたとすると、吸入によって摂り込むセシウムの量は、

セシウム134: 0.0000000000000000000000000000000000000096 Bq
セシウム137: 0.0000000000000000000000000000000000000105 Bq

吸入による幼児の実効線量係数は、以下の通り。

セシウム134: 2.3×10^−5 mSv/Bq
セシウム137: 3.7×10^−5 mSv/Bq

上で求めた、吸入によるセシウム量を乗じると、内部被曝線量は、

セシウム134: 0.00000000000000000000000000000000000000000022 mSv
セシウム137: 0.00000000000000000000000000000000000000000039 mSv


ということで、5km地点で、大文字焼きを2時間見ていた幼児の被曝線量は、内部被曝外部被曝を合わせて、

セシウム134: 0.0000000000000000000000000000000000000000002302 mSv
セシウム137: 0.0000000000000000000000000000000000000000003942 mSv

合計 : 0.0000000000000000000000000000000000000000006244 mSv

となる。
始めに断ったと思うが、これでも、表皮の量を大目に見たりと、色々と多目に見た場合の数字。
実生活での感覚では、こう言う数字は、普通「ゼロ」と言ってしまうか、あるいは天文学的に小さい数字と言うだろう。

ちなみに、人間は自然界からも放射線を浴びているわけだが、食物分を除いた、大地や呼吸からの被曝量は年間2.13mSvとなり、これを1日当りになおすと0.0058mSvとなる。
大地や呼吸からの1日当りの被曝量と、今回の大文字焼きを2時間見た場合の被曝量を比べると、以下のようになる。

大地や呼吸/1日: 0.0058 mSv
大文字焼き2時間: 0.0000000000000000000000000000000000000000006244 mSv

今回の薪を燃やすことで、果たしてどれほどの危険性があると考えるべきだろうか。


京都市は、「科学的根拠に基づき」断念したという説明だった。
いったい、どのような「科学的根拠」に基づいて、どれだけの危険性があると考えたのだろうか。

どうも報道を見る限りでは、「検出」されたこと自体を科学的根拠と言っているような感じがするが、もしそうであったとすれば、そんなものは科学的根拠とは言わない。

「検出=危険」と言うのであれば、市場に流通してる500Bq/kg未満の食品も軒並み危険と言うことになる。

関東から来る、人や車や荷物にも、放射性物質が付着しててもおかしくない。
測っていないから気が付かないだけで、測れば検出されても不思議ではない。
検出されれば危険と言うなら、それらは全て危険と言うことになる。

その考え方で行くならば、京都市は今すぐ、駅や道路に検問所を設けて、関東からの物流をストップさせるべきだろう。
今回の話は、そういうレベルの話だ。


確かに、京都市が言うように、野焼きに関する国の暫定規制値が設定されていない、という面はある。
その点は、京都市にとって気の毒だったかもしれない。

ただ一方では、8000Bq/kg以下ならば、焼却灰の埋め立て作業が認められることになっている。
今回のは1130Bq/kg。
考えようがあったようにも思えるが。

今回の件に関するニュースをいくつか見ていて、私にはこの言葉が一番しっくり来る。

『意味のないクリーンさを求めた今回の判断は被災地の方々の気持ちを踏みにじるものだ。京都市学術都市でもあり、専門家の意見を聞いて冷静にリスクを検討すべきだった』
■国際放射線防護委員会の主委員会委員、丹羽太貫・京都大名誉教授(放射線生物学)
http://mainichi.jp/select/science/news/20110812k0000e040090000c.html

放射性物質がどれだけあるからどれだけ危険かという、評価の部分をすっ飛ばして、「検出=危険」という考え方が、風評被害の元そのもの。

意味のないクリーンさを求めて、人の心をもてあそぶことに、いったいどんな意味があると言うのだろうか。

私には、今回の「検出=危険=中止」という判断で、残念ながら京都市は、風評被害の決定打を打ってしまったように思える。