財務省悪玉論への違和感
安倍総理が解散・総選挙を決めて以降、財務省を批判する声が多く聞こえるようになった。
「安倍総理は消費税増税に反対だったが、財務省が議員説明などをし増税させようとした。これに総理は怒った。今回の選挙は増税を認めるか否か、増税派の財務省との戦いだ。」
といった感じで、安倍総理を擁護する文脈で語られる。
だがそうだとすれば、解散・総選挙を表明した記者会見で「次回は景気条項を削除して確実に増税する」と断言したことはどう理解すればよいのか。
○首相、消費増税「17年4月 確実に実施」延期を表明
安倍晋三首相は18日夜、首相官邸で記者会見し、来年10月に予定する消費税率10%への引き上げを17年4月まで1年半延期すると表明した。「再び延期することはない。景気判断条項を付すことなく確実に実施する」とも語り、経済情勢にかかわらず再延期はしない意向を示した。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFK18H4F_Y4A111C1000000/
○与野党、景気条項廃止に賛否
自民党の谷垣禎一幹事長は「必ず(増税を)するという強い意志の表れだ」と強調。
http://jp.reuters.com/article/kyodoPoliticsNews/idJP2014120701001218
増税が景気に悪影響であることは多くの人に知られた。
1年半後になっても景気が悪いなら、再び延期すればよいし、むしろそうしなければならない。
ずっと景気が悪いなら、ずっと延期が必要だ。
それなのに、「もう延期はしない。次は経済がどうであれ必ず増税する」と「増税への強い意志」を表したことはどう理解すればいいのか。
「総理は消費税増税には反対だったのに、財務省が悪いから・・・」
との説明には、どうにも腑に落ちない疑問が残る。
穿った見方かもしれないが、安倍総理と財務省との“プロレス”との見方も成り立つ。
今回の解散、安倍総理は解散の大義を厳しく問われたが、財務省を悪者にして「増税をくわだてる財務省との戦い」とすることで一応のストーリーは出来上がるし、事実ネット上ではそれなりの成果が挙がっているようにも思える。
今回、財務省は悪者となることで安倍総理に解散総選挙の大義を提供する代わりに、1年半後には経済状況がどうであれ消費税を増税するという見返りを得る(今回安倍自民党が大勝すれば4年間は安泰なのだからそれが可能になる)。
そういう、筋書きのある“プロレス”との見方もできる。
先に穿った見方と書いたようにこの推論は置くとしても、やはり納得を難しくしているのは景気条項を削除する点だ。
安倍総理が真実、不景気下での消費税増税に反対していたのであれば、国民に問うのは「不景気下での消費税増税は是か非か?」であったはずだ。
ならば、1年半後にも不景気であった場合に備えて景気条項を盛り込むことは当然だし、景気条項を削る必要はない。
しかし安倍総理は景気条項を削ることを表明して国民に信を問うている。
これは「1年半後には景気に関わらず消費税を増税する。是か非か?」
という問い掛けに他ならない。
国民の生活など意に介さず増税をたくらむ財務省に抵抗するために、財務省と戦う安倍総理を支持したはずなのに、その結果は1年半後の増税を支持したことになる(しかも景気に関係なく)。
何とも不思議な状況となる。
そもそも、財務省との戦いをうたうマスコミ記事などでは、財務官僚が議員への説得に周り多数派工作を行ったことを問題視しているようだが、これは官僚としては特に問題となる行動ではない。
省の抱える政策目標を達成するために、議員への説明を行って政策への理解を取り付けることは、他の省庁でもやっていることだ。
何も財務省だけでなく、経産省でも農水省でもやっていること。
と言うか、政策は議会に上がってきたものをいきなり読んでも、直ぐには理解できるものではない。
あらかじめ説明を受けて、疑問質問などを整理しておいて、それでようやく議論可能なレベルに理解できる。
その意味では、議員への個別説明と言うのは、各省庁に与えられた任務を達成するために必要不可欠な仕事だともいえる。
ここで、「与えられた任務」と書いたが、各省庁には法律によって任務が与えられている。
法律に書かれている任務だから、つまり国民によって与えられた任務と言うことになる。
では実際に、財務省にはどういう任務が与えられているかと言うと、「健全財政の確保」等の任務が、法律、つまり国民によって与えられている。
具体的には以下の条文に書いてある。
○財務省設置法
第三条 財務省は、健全な財政の確保、適正かつ公平な課税の実現、税関業務の適正な運営、国庫の適正な管理、通貨に対する信頼の維持及び外国為替の安定の確保を図ることを任務とする。
こういった任務を定めた条文と言うのは各省庁にもあり、経産省や農水省にも、国民によって与えられた任務と言うものがある。
ここで確認したいのは、財務省に与えられた任務としては第一番目に「健全財政」が来ているわけだが、その後の文のどこを読んでも、「景気を良くする」とか「経済の活性化」といった文言は書いていないということだ。
つまり、財務省が景気や経済を考えることは任務として与えられていない。
景気回復や経済活性化は財務省の任務では無い。
それは、内閣府や経済産業省の仕事とされている。
国民がそう決めた。
財務省に関してはよく、
「大蔵省時代はもっと視野が広かったのに、財務省になってから財政にしか目が向かなくなった」
「財政が良くなれば他はどうでもいい。自分の庭のことしか考えていない」
といった言葉を聞くのだが、それもそのはず。
大蔵省時代には省の中に銀行局もあり、証券局もあり、日本経済を司る部分を抱えていた。
ありていに言えば、経済界の圧力団体を抱えていた訳であり、省の考えにもその“圧力団体”からの意向が届くし、省としても銀行や証券業の繁栄を考えなければならない。
ところが、中央省庁再編の際に、この経済部門は財務省から切り離された。
今は金融庁にある。
「財務省は財政のことしか考えていない。財政が良くなれば後はどうでもいい」
と言われるが、それはある意味当然の成り行きだとも思う。
省庁再編の時に、財政の事に特化されたからだ。
「お前たちは銀行や金融のことを考える必要は無い。財政の事だけ考えろ。」
と法律によって指示されたからだ。
もちろん、政治家を通し、立法と言う形でそのような指示を出したのは、他ならぬ国民。
「財務省は財政のことしか考えていない」
ある意味当然だろう。
国民がそう指示したのだから。
国民にそのような任務を与えられ、財務省が「健全財政の為に効果的な方策は何か?」と考えたとき、「景気に左右されにくい消費税だ」との結論に至るのは当然だろう。
財務省が国民から与えられている任務は「健全な景気」では無く「健全な財政」だからだ。
「そうは言っても景気回復は国全体の課題だ。省の任務はひとまず置いて、景気回復を第一に考えてくれてもいいんじゃないか。省益では無く国益だ」
と考える向きもあるだろうが、日本は法治国家であり、彼ら役人は法律に従って動くことを叩き込まれている。
彼らが何かをする際には、「法的根拠」というものが必要になる。
財務省の任務のどこを読んでも「景気回復」という文字が書いてない以上、それは彼らの行動に法的根拠を与えない。
法に基づかない行為となる。
しかも、その行為が省の任務に抵触しないならまだ許される余地もあろうが、景気回復策は健全財政には悪影響を及ぼすことにもなる。
国民から与えられ、法的に定められた任務である健全財政と、法的根拠を持たない景気回復。
どちらが優先されるかは、考えるまでもないだろう。
仮に健全財政よりも景気回復を優先させる財務官僚がいたとしても、
「君の行動の法的根拠は何か?」
と聞かれれば、その財務官僚は黙るしかない。
国民から健全な財政と言う任務を与えられた財務省が、その効果的な方策である消費増税を達成すべく、議員に説明に周り、政策の推進を図ることはある意味当然だし、むしろそれが彼らの仕事の本筋だとも言える。
それが法治国家における彼ら官僚の、法律や国民に対する誠実さだとも言える。
彼らはただ、主権者たる国民に与えられた任務に、忠実であろうとしているだけとも言える。
それで多くの議員が財務省になびいたとしたら、それは財務省の説明が説得的であったか、財務省の説明に反論し得るだけの力が議員達に無かったということだ。
もし彼ら財務省の行動が問題であるなら、総理はその指揮で財務省の行動を止めるなり、国民は彼らに与えた任務を変更すべきなのだ。
それらをせずに、ただ財務省の行動だけを問題とするのには、政治家も国民も、自分達が財務省に与えた任務を忘れ、自分達が銀行局や証券局を取り上げて財政に専念させたことを、忘れているのではないかと思う。
「今回の選挙は増税を認めるか否か、増税派の財務省との戦いだ」との声。
財務省が消費税を推進するのは当然だろう。
国民が彼らに与えた任務なのだから。
それを止めるなら政治家が指揮力を発揮することが必要だが、選挙という形になった。
そして、増税延期を支持したつもりが、1年半後の増税を支持する結果となる。
この流れは、私にはとても奇妙に思えるし、違和感を禁じ得ない。