東京と公共事業の関係

(近頃どうも、何かを書こうという気が起こりません。とは言え、考えてみればもう2ヶ月以上も何も書いていなかったことに気付きました。これではイカンということで、昔に別のところで書いていた経済ネタなんぞを、再掲してみようかと思います。)

近ごろ東京と地方の関係を考えることが多く、その中でふと思ったことだが、建設業が一番多い都道府県は、実は東京であることを知っている人は少ないのではないだろうか。

例えば、建設業の企業が一番多いのが東京で、全国の10.1%を占めるし、従業者数にしても10.8%を占め、やはり東京が一番多い(事業所・企業統計調査;18年)。

○建設業の企業数

○建設業の従業者数

東京には建設業以外にも色々な産業があって、建設業の存在が薄まるから気付きにくいだけで、建設業が一番集中しているのは、実は東京。
日本で一番の土建大県はどこかと問われれば、それは岩手でも新潟でもなく、「東京」ということになる。
(毎回都道府県と書くのはめんどうなので、これ以降は単に県と書く。なので、東京は県じゃないだろjkとかつっこまないように)

もっとも、東京が一番の土建大県であるのは事実としても、東京に建設業が多いのは民間の仕事が多いから、という面もある。
したがって、これだけでは単純に公共事業の恩恵が多いと言うことは出来ない。

では、公共事業に占める東京の割合はどれくらいなのだろうか、それを考えてみる。


国交省がまとめている数字に、「都道府県別完成工事高」というものがある(建設工事施工統計調査;18年度)。
ここから、都道府県ごとの、民間工事・公共工事それぞれの施工金額がわかる。

公共工事の元請完成工事高(実際の施工地)

それによると、全国で行われた公共工事14兆4000億円のうち、東京は1兆3500億円となる。
東京一県だけで全国の9.4%の工事が行われており、これもやはり全国1位の数字だ。
つまり、民間工事をのぞいて公共工事だけで考えても、東京が1位。
東京は日本一の「公共事業大県」ということになるだろう。


ところで、この東京の1兆3500億円は、「東京都内で実際に施工された工事」の金額だけだ。

地方の大型公共工事などは、東京の大手ゼネコンがやってきて、元請として受注し、受注金額の多くを得ていることは、建設業界を少しでもかじったことのある人なら知っている話。
そういった、東京の建設会社が地方で請負った金額が、上の1兆3500億円には含まれていない。
つまり、地方という市場で東京の建設会社が稼ぎ、東京の本社に売上として計上される金額が、上の1兆3500億円には含まれていない。

そこで、同じく「都道府県別完成工事高」から、今度は東京の会社が実際にどれだけ、全国の公共工事を請負っているかを見てみる。
それによると、4兆1600億円、実に全体の28.9%を、東京の会社が請負っていることが分かる。
グラフを見れば一目瞭然。
ハッキリ言ってダントツ。

公共工事の元請完成工事高(受注した都道府県)

考えてみて欲しい。
公共工事が全体で14兆4000億円というのは変わらない。
東京で実際に施工された工事は1兆3500億円であるのに、東京が元請けになった工事は4兆1600億円。
その差、2兆8100億円は、地方で行われる工事を東京の会社が元請けになり、東京の会社の売上げになっているということだ。


これがつまり、「地方は東京にとっての市場」の分かりやすい例だ。
地方で使われたお金が、東京の会社の売上げとなって、東京を潤すということの典型例だ。

以前の日記で書いたように、東京が実際に負担した税金のほとんどは東京で使われている。
(※この「以前の日記」は再掲していませんのでこのブログにはありません)
その上、地方で使われる税金もこのように東京に環流し東京を潤す。
東京の繁栄は、このような仕組みの上で成り立っているということだ。

それを、某コラムのように、「東京の税金が地方に奪われている」と言うのは、事実に全く反したものだろう。
そんなに地方でお金が使われるのが嫌なら、減らしてみるといい。
地方という市場が縮小し、東京に流れるお金が減り、東京も衰退するだろう。
植民地という市場を失って衰退した大英帝国のように。

某コラムのような主張は、無駄遣いを正すとか、経済の効率化を図るとか、コラムなりの正義感で考えているのかもしれない。
だがそれは一面的な見方であり、長期的には東京の首を絞めるものでしかない。


最後に、都道府県ごとの受注金額を、その県の人口で割ってみよう。
「人口一人当たり公共事業受注金額」という意味合いになり、公共事業でどれだけ潤っているか、だいたいのイメージがつかめると思う。
それによると、一人当たり325,940円で、やはり東京が1位となる。

○人口一人当たり公共工事受注金額

つまり、
別の産業が色々あるから気付きにくいだけであって、ボリュームの大きさで考えれば、


「公共事業で一番潤っているのは東京だ」



注1)東京を批判しているように受け取られるかもしれないが、断っておくが東京が嫌いなわけではない。
東京で人生の○分の1を過ごしており、愛着も親しみもある。
ただ問題を感じるのは、ビジネス雑誌で聞きかじったような話を振りかざし、流行のビジネス用語を使って分かったような気になり、日本を支えてきたもの、暮らしを守っているものを、古くさいもの、非効率的なものと決めつける、そのような考えだ。

公共事業の恩恵を一番受けているのは自分たちなのに、自分達は公共事業みたいな泥臭いものとは関係ないかのように、自分達は製造とか情報通信とか金融とか、そういうカッコイイ仕事で稼いでいるから、公共事業なんて無くったっていいかのように、地方の公共事業に偉そうなことを言う。
東京のお金が地方に奪われているかのような物言いをする。
そんな態度には、どうしても一言いいたくなってしまう。

注2)冒頭に書いたように、このエントリは以前に書いたものの再掲です。そんなわけで数字は平成18年と若干古いのですが、その平成18年時点においても公共事業はムダだ論、東京のお金が地方の公共事業に食い潰されている論は盛んだったわけで、エントリ自体の妥当性は失われていないと思います。

SPEEDIを公開していれば被曝は避けられたのだろうか

SPEEDIを巡っては、『始めから公開していれば住民の被曝は避けられた』という言葉をしばしば目にする。
一般の人だけでなく、政府の事故調査・検証委員会でもそのような意見を述べている。
そこで、当時実際に計算されていたSPEEDI図を確認しながら、被曝を避けられたのかどうか考えてみようと思う。

話に入る前に、SPEEDIとはどんなものか簡単に確認しておきたい。
SPEEDIとは、正式名称を『緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム』と言うことから分かるように、一言で言ってしまえば放射能の拡散を予測するシステムである。

そのシステムだが、ここでは詳細を述べることが目的では無いのでごく大雑把に言うと、まず第一に発災事業所(今回は福島原発)から、どれくらいの放射能が、何時くらいに放出されるか、そのような情報が送られてくる。これを『放出源情報』と言う。

放出源情報が得られることにより、放出される放射能の量・時間が分かる。
その次に、その時の気象状況・地形などのデータを総合して、放出された放射能がどのように拡散するかを予想し、そこからの放射線量を計算する。

つまり、放出源情報と、気象・地形等の情報。
これらの情報を組み合わせることによって、放射能の拡散を予測する。
これが、ごく大雑把に言ったSPEEDIの仕組みとなっている。


今回は、地震等によって、原発側のシステムや通信回線にトラブルが生じ、地震当初から既に放出源情報が得られなくなっていた。
どれくらいの放射能が何時出てくるかという、第一の情報が既に地震当日の3月11日から得られなくなっていた。
この時点で、SPEEDIはその期待される予測性能を発揮することが既に困難になっていた。

この点について、事故調査・検証委員会の中間報告でも以下のように述べている。

○事故調査・検証委員会の中間報告(257ページ)

SPEEDI 情報の活用及び公表に関する状況
(1)SPEEDI システムの概要等
今回の事故対応においては、SPEEDI 計算の前提となるERSS からの放出源情報が得られなかった。(略)放出源情報を基にしたSPEEDIによる放射性物質の拡散予測はできなかった。その結果、避難訓練において行われていたように、SPEEDI により各地域の放射性物質の大気中濃度や被ばく線量等を予測した上で、それを避難区域の設定に活用することはできない状態となった。
http://icanps.go.jp/111226Honbun5Shou.pdf#page=11

今回の事故においては、既に事故当日から、放射能の拡散をより正確に予測するための第一の情報、放出源情報が得られなくなっていた。
それを受けて、防災機関側はどのような行動を取ったか。

放出源情報を基にした拡散予測は不可能となったので、仮に1時間に1ベクレルずつ放出したらどのように拡がるかという仮定の計算、『単位量放出』による計算を1時間ごとに行うことにした(3月11日の16時以降から)。(注)

○事故調査・検証委員会の中間報告(258ページ)

(2)3 月15 日以前のSPEEDI の活用・公表の状況
a 単位量放出を仮定した定時計算結果の活用・公表
これを受け、同センターは、(略)福島第一原発から1Bq/h の放射性物質の放出があったと仮定し(単位量放出)、同日16 時以降の気象データ等を用いて1 時間毎の放射性物質の拡散予測を行う計算(定時計算)を開始した。なお、これらの計算結果は、実際の放出量に基づく予測ではなく、気象条件、地形データ等を基に、放射性物資の拡散方向や相対的分布量を予測するにすぎないものであった。
http://icanps.go.jp/111226Honbun5Shou.pdf#page=12

放出源情報を断たれた時点で、SPEEDIに本来期待された拡散予測は困難になり、1時間に1ベクレルという単位量放出による計算となった。
“仮にこの時間に原発から出たものがあるとすればこのように拡がるだろう”という参考程度の情報になってしまい、言ってみれば、その時の気象と地形の影響を見るだけのものになった。
それは実際に出たであろう放射能の行方を追えるものでは無く、実際の放射線量を示すものでは無くなった。


ここまでは事故調査・検証委員会も認めるところだが、しかし同委員会は次の部分でこのように言う。

○事故調査・検証委員会の中間報告(259ページ)

しかし、定時計算の結果は、前記のとおり、放射性物質の拡散方向や相対的分布量を予測するものであることから、少なくとも、避難の方向を判断するためには有用なものであった
http://icanps.go.jp/111226Honbun5Shou.pdf#page=13

『避難の方向を判断するためには有用なものであった』と述べる。
そこで、放出源情報を断たれたSPEEDI図でも避難の方向判断には有用であったのか。
この点について考えてみる。


ここで、SPEEDI図を確認して行きたい。

原発事故のSPEEDI図と言うと、この図がよく例に挙げられる。
http://www.nsc.go.jp/mext_speedi/0312-0324_in.pdf

この図を見て、
「北西方面に汚染が伸びていたのはSPEEDI図から明らかだったのに、政府が発表しなかったために被曝が拡大した」
との批判がよくされるわけだが、原子力安全委員会がプレス発表した時のこの説明にあるとおり、

○緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の試算について
平成23年3月23日 原子力安全委員会

原子力安全委員会では、3月16日より、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による試算のために、試算に必要となる放出源情報の推定に向けた検討をしてまいりました。3月20日から陸向きの風向となったため、大気中の放射性核種の濃度が測定でき、限定的ながら放出源情報を推定できたことから、本システムの試算を行うことが可能となりました。
http://www.nsc.go.jp/info/110323_top_siryo.pdf

このよく見かけるSPEEDI図は、3月20日以降に集められたモニタリング結果を用い、SPEEDIの計算機能を逆算に利用することで得られた図である。
つまり、事前に予測されていた図ではなく、事後に逆算された検証用の図面ということになる。

よく言われるような「始めから分かっていた図」では無く、モニタリング結果から逆算することで「後になってから分かった図」であり、その意味するところは大きく違うので、この図を見るときは注意したい。


さてそれでは、事故が拡大している中での、実際のSPEEDI図はどのようなものであったのだろうか。

事故の中で放射性物質が多く放出されたと考えられる出来事としては1・2・3号機の爆発などがあるので、ここではSPEEDIの代表的な例として、その爆発などの後に行われている定時計算(単位量放出)を見てみたい。

【2011年3月12日15:36 1号機で水素爆発】
同日16:00のSPEEDI図(抜粋)
http://www.bousai.ne.jp/speedi/20110312rok/201103121600.pdf
南相馬市を中心とする北北西方向へと向かっている。


【2011年3月14日11:01 3号機で爆発】
同日12:00のSPEEDI図(抜粋)
http://www.bousai.ne.jp/speedi/20110314rok/201103141200.pdf
海側へと向かっている。


【2011年3月15日06:10 2号機で異音発生、圧力抑制室の圧力低下】
同日7:00のSPEEDI
南のいわき市方面へと向かっている。
http://www.bousai.ne.jp/speedi/20110315rok/201103150700.pdf


【2011年3月15日08:25 2号機で白煙確認】
同日9:00のSPEEDI
南南西、いわき市方面へと向かっている。
http://www.bousai.ne.jp/speedi/20110315rok/201103150900.pdf


【2011年3月15日10:22 3号機周辺で400mSv/hの高線量】
同日11:00のSPEEDI
南南西、いわき市方面へと向かっている。
http://www.bousai.ne.jp/speedi/20110315rok/201103151100.pdf

このように、3月12日の1号機爆発後のSPEEDI南相馬市を中心とする北方へと向かっており、3月14日の3号機爆発後のSPEEDIは海側へ、3月15日の2号機で異常があった後のSPEEDIは南方のいわき市方面へと向かっている。

これらのSPEEDIが全て逐一公表されていたらどうだったろうか。
3月12日の1号機爆発後にSPEEDIを見た人は、北側の南相馬方面へ走る図を見て、南側のいわき方面へと逃げたかもしれない。
3月14日の3号機爆発後にSPEEDIを見た人は、海側へ拡散する図を見て、急いで避難する必要は無いと思ったかもしれない。
一方で、3月15日の2号機異常後にSPEEDIを見た人は、南側のいわき方面へと走る図を見て、むしろ北西の飯舘村方面へと逃げたかもしれない。

事故が起きた3月11日以降、風向きは数時間ごとに様々に変化していた。
もちろんこれら以外にもSPEEDI図はあり、3月11日から3月15日の間だけでも、風向きは全方向に出現している。
SPEEDIでは1時間ごとに定時計算が行われていたが、放射能の伸びる方向は、風向きにあわせて東西南北、全方向に確認できる。

既に書いたことだが、これら単位放出量による定時計算は“仮にこの時間に原発から出たものがあるとすればこのように拡がるだろう”という参考としての情報であり、既に出た後の放射能の行方を追えるものでも、実際の放射線量を示すものでも無かった。
それらを全て公開して、果たして適切な判断に繋がっただろうか。

浪江町の避難の例では、避難する住民の車で渋滞が発生し、通常20分で行ける所が4時間かかったという。
数時間ごとに変化する風向きと、それに合わせて汚染方向の変わるSPEEDIの図面。
さらに、SPEEDI計算自体は文科省保安院がそれぞれの考えに基づいてそれぞれの条件で計算していたので、時間が経つにつれ図面がどんどん増えていき、最終的には全部で数千枚にも上る。

それらを全て公表することで、的確な判断が出来ただろうか。適切な避難に繋がっただろうか。
変化する風向きに合わせて右往左往したり、ある時点のSPEEDI図を見た「○○方面が安全」という解釈が一人歩きしたり、あるいは様々な時点のそのような解釈が入り乱れたり、それに伴う道路事情の混乱など、避難環境に相当の混乱が発生した可能性は考慮する必要が無いほど小さいだろうか。

もちろん避難となれば健康な人だけが避難するわけではなく、病人や老人も避難する。
実際の避難でも体調を崩した人がいたように、避難が混乱すれば、それだけ避難中に健康を崩す人も増えるだろう。
果たして、SPEEDIを全て公開するべきであっただろうか。


中には、
「ネット上では始めから北西方面が危ないと言い当てている人もいた。SPEEDIを公開していればそのような見解が増え、適切な避難が行えた。」
と主張する人もいるが、全ての人が移動中にネットを使えるわけでは無いし、仮にネットを使えたとしてもそのような意見に行き当たるとも限らない。
ネット上には違う見解を示す人もいるし、古い情報を基にした見解を見つけてしまうことも考えると、このような主張はあまりにも楽観的過ぎるように思う。

SPEEDI図の中には北西方面へ伸びるものはもちろんあるし、北西が危ないという声もあったろう。
しかし一方ではSPEEDIが放出源情報を欠いた、単位放出量による参考情報に過ぎない以上は、南相馬やいわき方面へ伸びるものもあるし、北や南が危ないという見解も成り立ち得る。

北西方面が高いというのは可能性の一つであり、北や南が高いという可能性も充分存在した。
実際にどこが高かったのか。それが確度を持って言えるようになるのは、3月23日の原子力安全委員会からのプレス発表にあるとおり、モニタリング結果がある程度集まってきてからだった。

後になって、モニタリング結果などの情報が揃ってきてから、「やはりここが高かった」と言うことは簡単だ。
東西南北、全てに伸びるSPEEDI図面の中から、北西方向に伸びる図面のみを拾ってきて、「北西方向が高いのは最初から分かっていた」と言うことは簡単だ。

だが、東西南北全ての解釈が成り立ち得るSPEEDI図を、その図面を見るのも初めてのような人に何百枚何千枚と公開することで、果たして適切な結果が得られただろうか。
全てを公開すれば皆が皆、北西方面を避けたのだろうか。
南へ伸びるSPEEDI図を見て北西方向へ逃げる人がいた可能性は無視できたのだろうか。


SPEEDIが公開されていれば被曝を避け得た具体例として、事故調査・検証委員会の中間報告では、例えば浪江町の例としてこう述べる。

○事故調査・検証委員会の中間報告(263ページ)

浪江町における避難状況
浪江町は、3月12日5 時44 分の福島第一原発から半径10km 圏内の避難指示を受け、(略)福島第一原発から10〜20km 圏内に位置する立野、室原及び末森の3 地区並びに前記の津島地区への避難誘導を行った。同日18 時25 分、福島第一原発から半径20km 圏内の避難指示が出たため、20km 圏内の住民(略)の避難誘導を行った。その後の福島第一原発をめぐる情勢を受け、3 月15 日朝方、町長の決断で二本松市(東和地区)へ避難することが決まり、住民に伝達した上で避難を実施した。この避難経路は、結果的には、放射性物質が飛散した方向と重なることとなったが、SPEEDI 計算結果の公表がなかったこと等から、多くの浪江町民はそれを知らないまま避難した。
http://icanps.go.jp/111226Honbun5Shou.pdf#page=17

浪江町の動きとしては、事故後にまず原発から北西約30kmにある同町津島地区に住民を避難させ、3月15日04:30に町長独自の判断で再避難を決定、二本松市へ受け入れ要請、同日10:00に二本松市(東和地区)への避難を決定というものだった。

事故調査・検証委員会では、この二本松市(東和地区)への避難経路が、SPEEDIが公表されていなかったことで放射性物質が飛散した方向と重なってしまったと問題視する。
では3月15日10:00のSPEEDIはどうだったか。

これが3月15日10:00のSPEEDI(抜粋)だが、汚染方向としては原発から南南西の方向(いわき市方面)へと伸びている。
http://www.bousai.ne.jp/speedi/20110315rok/201103151000.pdf

もし仮にSPEEDIが全て公開されていて、二本松市(東和地区)への避難に際しこのSPEEDIを見ていたとしたら、津島地区から北西や西へ延びる国道を使って避難することは、SPEEDIからはむしろ適切であったとも考えられてしまう。

SPEEDI公表を巡る批判の多くは、原子力安全委員会が3月23日に公表したこの図

を元になされているが、既に書いたように、この図は実測値の収集とSPEEDIの逆算によって作ることの出来た図であって、事前に予測されていた図では無い。
図面にはSPEEDIと書いてあっても、これは予測図では無く、言ってみれば“SPEEDIの計算機能を利用して得られた検証図”であるので、そこのところを誤解してはならないだろう。


事故調査・検証委員会は、まとめの部分で対策の問題点と今後の課題として以下のように述べる。

○事故調査・検証委員会の中間報告(480ページ)

(3)SPEEDI 活用上の問題点
a 避難指示との関係における問題点
しかし、放出源情報が得られない状態でも、SPEEDI により単位量放出を仮定した予測結果を得ることは可能であり、現に得ていたのであるから、仮に単位量放出予測の情報が提供されていれば、各地方自治体及び住民は、道路事情に精通した地元ならではの判断で、より適切な避難経路や避難方向を選ぶことができたであろう。
http://icanps.go.jp/111226Honbun7Shou.pdf#page=16

既に書いたことの繰り返しになるが、放出源情報が断たれたことで、単位放出量による定時計算となった。
この計算は“仮にこの時間に原発から出たものがあるとすればこのように拡がるだろう”という参考としての情報であり、既に出た後の放射能の行方を追えるものでも、実際の放射線量を示すものでも無かった。

事故後、文科省保安院原子力安全委員会、それぞれがそれぞれの検討のためにSPEEDI計算を走らせていたので、SPEEDIの図面としては何百枚何千枚にも上る。
それらSPEEDI図を全て公開することで、果たして混乱は起こらなかっただろうか。
実際の放射線量を示さない図面を全て公表することで、果たして被曝は避け得たであろうか。

原子力防災で避けたいことの一つは、避難経路の途中で放射性プルーム(放射性雲)に遭遇してしまうことだ。
放射性プルームには放射性ヨウ素放射性セシウムが多く含まれているので、避難途中でその中に入ってしまうと、内部・外部共に大量の被曝をしてしまう恐れがある。
(例えば、原子力安全委員会3月23日のSPEEDI図に100mSvなどといった線が現れているのは、1歳児が24時間屋外にいたとする仮定を置いているため。当然、実際にはこのような被曝はしていないが)

避難途中で放射性プルームに長時間入ってしまうくらいなら、まだ家の中に入っていた方がいい。
家の中に入ってできるだけ放射性プルームをやり過ごして、それから避難した方が、被曝を少なくするという意味ではまだいい。

膨大な数にのぼり、汚染方向が数時間ごと変化するSPEEDI図。
それらを全て公開することで、果たして効果的な避難に結びついたのか。
避難を混乱させることは無かったか。
普段は20分の場所に4時間かかることが起きる状況下で、避難を右往左往させ、放射性プルームの中で行ったり来たりさせてしまう危険性は無視できるものだったか。

もし仮に私がその場にいたとして。
私にそのような確信が持てたかは、疑問だと感じる。

○事故調査・検証委員会の中間報告(481ページ)

c 今後の課題
被害住民の命、尊厳を守る視点を重視して、被害拡大を防止し、国民の納得できる有効な放射線情報を迅速に提供できるよう、SPEEDI システムの運用上の改善措置を講じる必要がある。
http://icanps.go.jp/111226Honbun7Shou.pdf#page=17

『住民の命、尊厳を守る』のだとして。
参考情報でしか無く、既に出た後の放射能の行方を追えるものでも、実際の放射線量を示すものでも無い膨大な数の図面を全て公表することが、『住民の命、尊厳を守る』ことになるのだろうか。

そのような図面を逐一公表することが、防災機関としての『住民の命、尊厳を守る』責任を果たすことになるのだろうか。
私としては、まだその考えを肯定できるまでには至らない。


システムを運用している人間は、そのシステムの仕組みを理解しているから、逆に言えばそのシステムの限界も理解している。
どの部分にトラブルが生じればどのような影響を受けるか、そのシステムの信頼度がどの程度になるかも理解している。

一方で、システムに接していない人は、「予測するシステム」と聞いただけで、その能力を全面的に信頼してしまっているように思える。
システムに重大な障害が起き、本来の能力が発揮できなくなっているのに、「予測するシステムだから」というだけで、その能力を盲目的にすら信じ込んでしまっているように思える。

放出源情報を欠いたSPEEDIの予測をどこまで信頼できるか。
その予測にどこまで国民の生命を預けていいと思えるか。
一連のSPEEDI公表を巡る意見の違いは、トラブルの起きたシステムをどこまで信頼していいかという、システムへの理解の深さの違いに起因しているように思える。


【追記1】大切なこと
リンクを開いてもらえれば分かりますが、ここに紹介したSPEEDI図には、
『この予測は実際の放射線量分布を表しているものではありません。』
旨の注意書きがなされています。
私がPDFファイルを画像ファイルに変換する際に、どういうわけだか消えてしまうので、ここに貼り付けた画像にはその文言が抜けてしまっていますが、実際にはそのような文言が書いてあります。

これは、放出源情報が断たれた以上、実際の放射線量を示すとは到底言えない図面になったので、当然の注意書きではあるのですが、PDFから画像への変換の過程で、そのような大事な注意書きが抜けてしまっていることは付言しておきます。

なのでもう少し言えば、これらの図を見るときの考え方としては、これらの図を適切な避難に活用できるかどうかの問題では無く、『実際の放射線量を示してはいない図面を見て、避難の方向決定を適切に行えるかどうか』の問題だと思ってください。


【追記2】
ここに紹介した3月12日16:00の、北北西の南相馬市方面へ向かうSPEEDI図を見て、『この図があれば北西飯舘村方向での線量は想定できた』と主張する向きもあるかもしれませんが、事後に明らかになった北西方向での線量というのは、3月15日以後に通過したプルームが、降雨によって地面に沈着したことによるものです。
3月12日16:00のSPEEDI図からそこまでを予測することは困難です。
従って、それはSPEEDI図を見て予測できる問題ではなく、事後的な結果論と言った方がいい種類のものだと思います。


(注)毎正時に行われた定時の単位放出量計算以外にも、それぞれの事象の後に行われたSPEEDI計算もありますが、放出源情報が断たれているのは同じなので、結局は放出される時間の風向等を追いかける単位放出量計算と大差無いので、ここでは最も計算量の多い(つまり情報量の豊富な)単位放出量計算をメインに話を進めます。

新しい食品基準値の話

■はじめに

食品の新しい基準値について、自分なりにまとめてみようと思う。
(本当は、昨年末に厚労省の部会で考え方が示された時に書こうかと思っていたのだが、3ヶ月以上もサボってしまった…)

なお、今回のまとめは以下の資料に基づいている。

薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会放射性物質対策 部会報告について
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000023nbs-att/2r98520000023ng2.pdf
食品中の放射性物質の新たな基準値(案)について
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000023nbs-att/2r98520000023ng9.pdf


まず最初に新しい基準値を確認しておくと、食品区分は「飲料水」「乳児用食品」「牛乳」「一般食品」の4つに区分し直され、それぞれの基準値は以下のようになった。

飲料水  :  10 Bq/kg
乳児用食品:  50 Bq/kg
牛乳   :  50 Bq/kg
一般食品 : 100 Bq/kg

これを、放射性セシウムの値で代表して判断することになる。

ちなみに、ストロンチウムプルトニウムなどの影響も、これら数字の中に含まれている。
ストロンチウムプルトニウムの分析は、週間単位の時間がかかり、手間も非常にかかるので、生鮮食品の速やかな分析は難しく、また分析リソースも多く必要になり、そちらに注力すると場合によっては他の食品の分析に支障が出る。
そこで、あらかじめセシウムストロンチウムプルトニウムの比率を調べておき、セシウムが1Bqあったときのストロンチウムプルトニウムの影響を線量計算に含めておくことで、放射性セシウムの値で代表して基準値を判断できる仕組みになっている。


さて、自分として関心があったのは、新しい基準値がいくつになったかもそうだが、それに加えて、この基準値はどういった考え方で作られたか、どういう計算で導かれたか。
そこのところを知ろうと思って部会の資料に目を通したんだが、印象としては一言で言って、「これは相当、厳しいな」と。

以下、基準値の考え方、意味合いなどを書いていく。

ちなみに、これは自分的に重要と思った部分のまとめであって、変更点の網羅を目的とするものでは無い。
よって、放射性ヨウ素については既に検出レベル以下になっていることから新たな基準値が設定されないことなど、触れる必要性が薄いと思われる部分については割愛する。
また、文章の表現、言葉の用い方などについては、厳密に行うとかえって分かりにくくなりそうなので、大意からはなるべく外れないような範囲で、厳密さにはこだわらずに行う。
(この辺りは今回に特有の話では無く、これまでにも同様のスタンスだが、資料の方は当然厳密な言葉使いをしているので、それとの対比で書いておきたくなった)



■年間5ミリから年間1ミリへ

さて、まずは基準値全体の話として、新基準値での食品からの許容線量は、これまでの年間5ミリシーベルトから年間1ミリシーベルトへと引き下げられた。

この年間1ミリの根拠としては、コーデックス委員会国際食品規格委員会)のガイドラインで年間1ミリが採用されていること等がその理由とされている。また参考として、EU、ロシア、ベラルーシウクライナでも年間1ミリが採用されているとしている。
前にも書いたことだが、一口に同じ年間1ミリと言っても、ロシアなどチェルノブイリ関係国の基準値は事故から6〜12年後に設定された基準だし、EUの基準は希釈率を日本より5倍緩く考えたもので、その点を考慮すると、これまで日本は5ミリだったとは言っても、EUと同じ希釈率を用いれば実質1ミリ相当となる。

また、食品モニタリング結果からの被曝量推計では、年間0.1ミリ程度。
実際には起こり得ないような厳しい条件を想定しても、0.2ミリ程度と1ミリを大きく下回っている。

今後は半減期2年のセシウム134の影響が早期に減ることや、この被曝量推計は国産品のみ食べる場合の推計で、実際には輸入品も食べていることなどを考えると、年間0.1〜0.2ミリ程度と言っても実際にはこれでも高めであり、以前の基準値でも実際の被曝量はもっと低くなると考えられている。
(実際に流通している食品を購入して調べた場合の推計ではさらに低く、年間0.002〜0.02ミリ程度。放射性カリウムからの影響である年間0.2ミリに比べてずっと小さい)

それでも、厚労省の部会では、『合理的に達成できる限り線量を低くし、また国民の安全・安心を確保する』との理由で、年間1ミリにすることを妥当としている。


そもそも、以前の基準で年間5ミリが採用されていた根拠としては、年間5ミリという数字は健康に影響を及ぼすか否かという数字では無く、対策に係るコストと効果を比較したとき、効果がコストを上回る最低のラインという理由からだった。
(つまり、年間5ミリを下回ると効果よりもコストの方が高くつくから正当化できない)

今回の報告資料では、前回行われたようなこの費用対効果、コストと効果の兼ね合いについては検討していない。
今回、年間1ミリにする理由は、コーデックス委員会では年間1ミリとなっているから等というもの。
(そして参考としてEUなどでも1ミリになっているから)

なお、報告資料の別の場所には、「これまでの基準値でも安全性は十分確保されている」旨が明記されてもいる。
上に書いたとおり食品からの実際の被曝量は年間0.1ミリ程度、高く見積もっても年間0.2ミリ程度なので、これはその通りだろう。
これまでの基準値でも安全性は十分確保されていたが、更なる基準強化を目指す。
これは、「年間1ミリ」という数字が大きく意識されていたからのようにも思える。

このように、以前の基準値と新しい基準値とでは、年間5ミリと年間1ミリで違うわけだが、その考え方としては、以前の基準値は対策の費用対効果に基づく正当性を背景に持ったものであるのに対し、新しい基準値はコーデックス委員会との比較によるものとされていること。
単に5ミリや1ミリという表面的な数字ではなく、この数字を導き出した考え方の違いが、前回と今回とで大きく異なる部分だろう。


ところで、年間5ミリから1ミリへという話については、もう一つ興味深い点があるので触れておきたい。
少し専門的な話になってしまうのだが、一言で5ミリとか1ミリとか言っても、その数字を「計算上の被ばく線量(介入線量)」で考えるのか、「実際のモニタリング結果に基づく被ばく線量」で考えるのかで、基準値としての結果は違ってくる。

「計算上の被ばく線量(介入線量)」とは、基準値上限の食品を食べ続けたらどうなるかという線量のことで、「実際のモニタリング結果に基づく被ばく線量」とは、実際のモニタリング結果から計算する線量のことを意味する。

年間5ミリから1ミリへという話について、実は食品安全委員会では、「実際のモニタリング結果に基づく被ばく線量」について適用される、と言っていた。
現実としては、実際のモニタリング結果を見ると、多くの食品では100Bq/kgを下回っていて、そこから計算される線量は年間0.1ミリ程度となっている。
つまり、食品安全委員会が言ったように、「実際のモニタリング結果に基づく被ばく線量」で考えるのなら、以前の基準値でも年間1ミリを大きく下回っているので、特に新たな対策は必要無い、とすることも可能だった。

ところが、議論が食品安全委員会から厚生労働省の方に移ると、年間5ミリから1ミリへという話については、「実際のモニタリング結果に基づく被ばく線量」では無く「計算上の被ばく線量」で考えようということになった。
つまり、実際には100Bq/kgを超えている食品は少なく、そこからの計算では年間0.1ミリと、1ミリを既に大きく下回ってはいるのだが、そうではなく、食品全てが基準値上限であったとして計算しよう、ということになった。

「年間5ミリから1ミリへ」という話は同じであっても、それを「計算上の被ばく線量」で考えるか「実際のモニタリング結果に基づく被ばく線量」で考えるかで、結果としての基準値は大きく違ってくる。
年間1ミリをどちらで考えるか、これは実は基準値に大きな影響を及ぼす話しだったのだが、食品安全委員会から厚生労働省に話が移ったときに、この大きな方針転換がなされていた。
つまり、「年間5ミリから1ミリへ」は同じであっても、考え方が「計算上の被ばく線量」に移ったことで、基準値が大幅に強化されることになった(安全側に大きく傾いた)。

マスコミなどではあまり大きくは取り上げられないが、この「実際のモニタリング結果に基づく被ばく線量」か「計算上の被ばく線量(介入線量)」か、年間1ミリをどちらで考えるのかは、基準値に大きな影響を与える転換点であったので、意識しておきたい。



■4つの基準値

○飲料水

次に、食品区分ごとの基準値を見ていく。
まずは飲料水から。

飲料水については、その基準値は10Bq/kgとされたわけだが、その理由は、WHOが飲料水のガイダンスレベルとして示しているのが10Bq/kgだから(年間0.1ミリシーベルト相当)。
理由として示されているものは、ほとんどこれが全て。

先程の年間1ミリの部分では、コーデックス委員会がそうしているし、参考としてEUなどもそうしているから、というのが理由だったわけだが、では飲料水に関する基準値はどうなっているかと言うと、コーデックス委員会では飲料水に関する基準値は無く、EUの飲料水基準値は1000Bq/kgとなっている。

先程も書いたように、EUでは年間1ミリを超えないように考えているわけで、つまりEUでは飲料水1000Bq/kgでも年間1ミリが守られると考えていることになる。
これは、食品汚染率を10%と日本よりもかなり緩く設定していることなどにその要因があると思うが、いずれにせよ、同じ年間1ミリとは言っても、日本が新しく設定した10Bq/kgに比べてかなり緩い。

「年間1ミリ」というのは同じでも、その数字の導き方一つで日本は10Bq/kg、EUは1000Bq/kgと、大きく違ってきてしまうのは興味深いと言えば興味深い。
いずれにせよ、ここでも日本はかなり厳格な基準値を採用しようとしているように思えるのだが。

ちなみに、実際のモニタリング結果としては、福島県内であってもかなり早い段階から、飲料水からは検出すらされていない。
まぁ現実的には、そういうモニタリングの結果があるから、こういう厳しい値も採用できると踏んだのだろう。


とりあえずここまで、食品全体としての年間1ミリと、飲料水の10Bq/kgを見ての感想だが、今回の新基準値の作成にあたっては、とにかく年間1ミリにするんだ、水は10Bqにするんだと、そういう思いが先行していたように感じられる。

事故後に世の中で喧伝されるようになった、「年間1ミリ」や「WHOでは水は10Bq」。
その数字がどのような意味を持つ数字なのか、理解して叫ばれていたようには思えないが、とにかく「年間1ミリ」「WHOでは水は10Bq」という言葉が繰返し叫ばれ、だから日本はダメなんだ、危険だ、信用できない、と批判されていた。

そういった批判に対応するために、年間1ミリ、水は10Bq。
そういった前提があったのではないか。
よりハッキリ言えば「数字ありき」だったのではないか。そういう感じがする。
“年間1ミリ”は同じでも、コーデックス委員会EUと比べてどれだけ厳しいか。
最後の方でもう一度書くが、それを比べれば、その傾向がよりハッキリするのではないかと思う。


○一般食品

次に、一般食品の基準値を見てみる。
これまで、穀物・野菜・肉類等と分かれていた食品区分は、一般食品というカテゴリに一括されることになった。

基準値の計算方法としては、以前の基準値に比べて細かな変更点は多いものの、大まかに言えば、前回の基準値計算と似たような計算方法となっている。
つまり、各年齢区分の食品摂取量と線量係数を用いて、年齢区分ごとに年間1ミリを超えないような濃度(Bq/kg)を計算した後、もっとも厳しい年齢区分の濃度(Bq/kg)に、余裕分をプラスして基準値としている(食品汚染割合は50%で前回基準値と同様)。


具体的に言えば、各年齢区分の年間1ミリを超えない濃度は以下のようになる。

1歳未満(男女) 460 Bq/kg
1〜6歳(男)  310 Bq/kg
1〜6歳(女)  320 Bq/kg
7〜12歳(男)  190 Bq/kg
7〜12歳(女)  210 Bq/kg
13〜18歳(男)  120 Bq/kg ←←←
13〜18歳(女)  150 Bq/kg
19歳以上(男)  130 Bq/kg
19歳以上(女)  160 Bq/kg
妊婦       160 Bq/kg

この中でもっとも厳しいのは、13〜18歳(男)の120Bq/kgなので、この数字に余裕分を加味して安全側に丸めた100Bq/kgが新しい基準値とされた。
つまり、年間1ミリであれば、1歳未満なら460Bq/kg、1〜6歳なら310Bq/kgでも大丈夫ということになるのだが、影響度合いが一番大きいのは13〜18歳(男)なので、そこに合わせて基準値が作られたということになる。

もし年齢区分ごとに基準値を変えるならば、乳児460Bq/kg、幼児310Bq/kgとも成り得るのだが、当然ながら肉や野菜の流通を子供用・大人用と分けたり、作る料理を子供用・大人用と分けることは非現実的なので、こういう基準値というものは万人に通用できるように、一番厳しいグループの値が採用される。
なので逆に言えば、乳児なら360Bq/kg、幼児なら210Bq/kgの余裕があるとも言える。
(新基準値の100Bq/kgと、1歳未満の460Bq/kg・1〜6歳の310Bq/kgの差が余裕分)


13〜18歳(男)の数字が一番厳しく、影響度合いが一番大きいとなった理由は、食品摂取量の違いが大きい。
13〜18歳(男)の1日食品摂取量が2052グラムであるのに対し、例えば1歳未満は373グラムと5倍以上の開きがある。

もちろん線量を評価する換算係数は、例えばセシウム137を同じ量経口摂取した場合で、13〜18歳(男)は1.3なのに対し1歳未満は2.1と、感受性に応じた値を使っている。

このように、同ベクレルなら1歳未満の方が影響が大きくなる計算をしていながら、13〜18歳(男)は120Bq/kg、1歳未満は460 Bq/kgという結果になるのは、食品摂取量が大きく違うことによる。
やはり「食品の基準値」を考えている以上、影響は「摂取する量」に左右されるわけで、食べれば食べるほど、摂取すれば摂取するほど影響が大きくなることを物語っている。


以前の基準値でも計算方法は似たようなもので、年齢区分に応じた線量係数を使って計算していた。
つまり、前回も今回も、年齢による感受性の違いが考慮されていないわけでは無い。
よく、「子供への影響を考えていない」「感受性の違いを無視している」といった批判があるわけだが、そのような批判は、基準値がどのように導かれたかをよく理解していないのだろう。
『子供の基準値は大人よりも小さければならない』という無意識的な思い込みによるものと思われる。


ところで、上ではサラッと“食品汚染割合は50%”と書いたが、実はここが大きな意味を持つ。
ここで言う“食品汚染割合”とは、流通している食品の何%が(基準値濃度の)汚染をしているかを意味する。
つまり、基準値計算の過程では、流通している食品の50%、実に2つに1つは基準値上限の汚染濃度であるとして計算している。

では実際の(出荷前の)モニタリング結果はどうかと言うと、昨年10〜12月の実績でも新基準値の100Bq/kgを超えているものは全体の2%程度に過ぎず、残りの約98%は100Bq/kgを下回っている。現在ではさらに少なくなっているだろう。
それに、日本は肉や野菜などの食品を大量に輸入してもいるわけで、実際に流通している食品には輸入物も加わる。
それらの輸入物も含めれば、この割合はもっと小さくなるだろう。

つまり、基準値計算の過程では、流通している食品の半分は上限100Bqであるとして計算しているのだが、これは過大ではないかということ。
逆に言えば、相当に安全側の仮定をしているとも言えるわけだが、いずれにせよ汚染割合を高くして計算すればするほど、結果の基準値は厳しくなる。
この汚染割合、コーデックス委員会EUでは10%としていることなどを考えると、今回の基準値計算において、汚染割合を50%としたことが基準値を厳しくする方向に大きく働いていることは、意識する必要があるだろう。



○乳児用食品、牛乳

次は、乳児用食品と牛乳の基準値について。

この2つについては、食品安全委員会が「小児の感受性は大人よりも高い可能性がある」と指摘し、また牛乳などは子供の摂取量が特に多いことから、独立の区分とされている。
2つとも新基準値は50Bq/kgとされたわけだが、ではその数字はどのように計算されたのだろうか。

どのように計算されたか、と書いたが、実はその計算は既に終わっている。後は最後の一手間を加えるだけ。
上の一般食品で導かれた100Bq/kg。
この計算で、既に子供においても年間1ミリを下回ることは分かっている。
(1歳未満は460Bq/kg、1〜6歳は310〜320Bq/kgであった)

この100Bq/kgが考えの出発点とされている。
そして、乳児用食品と牛乳については、
『万が一、全てが(上限まで)汚染されていたとしても大丈夫なように』
一般食品の100Bq/kgを半分にして、50Bq/kgにしよう。
このように導かれている。

つまり、乳児用食品と牛乳については汚染割合100%だと。
100%全ての乳児用食品と牛乳が、基準値上限まで汚染されていると考えようと。

一般食品は汚染割合50%で100Bq/kgだったから、汚染割合が100%なら50Bq/kgになるねと。
嘘でもなんでもなく、基準値はそのように導かれている。

ちょっと待てよと。
100Bq/kgという数字は、13〜18歳(男)が元になった数字だよねと。
1歳未満なら460Bq/kgだし、1〜6歳なら310〜320Bq/kgだったよねと。
じゃあ仮に汚染割合100%で考えるとしても、子供の数字を考えるんなら、それらを半分にして230Bq/kgや150Bq/kgになるんじゃないのと。
私としてはそういう疑問も浮かぶんだが、そうではない。

前提となる数字は、あくまで13〜18歳(男)の100Bq/kgなんだと。
これを半分にして子供用の50Bq/kgになるんだと。
報告書では、本当にそのように導かれている。


そもそも、汚染割合100%という想定自体がどうなんだと。
100%全てが基準値上限まで汚染されている、それは現実のモニタリング結果から妥当なのかと。
10〜12月の実績でも、100Bq/kgどころか、50Bq/kgに達していた牛乳すら0%だったじゃないかと(656件中0件)。
それなのに汚染割合100%という想定は妥当なのかと。

私としてはそのような疑問も浮かぶのだが、報告書ではあくまで『万が一』だと。
あくまで万が一、100%全てが上限まで汚染されていたと考えた場合のことだと。
報告書にはそのように書かれている。

まぁ確かに、そのような想定をすればそのような値も出るでしょう。
でも、そもそもその想定は妥当なんですか、と。

『子供用の基準値が大人と同じであってはまずい。ましてや、大人よりも高いなんて許されない。』

新基準値の背景には、そのような“思い”が先行していた。
そう感じてしまうのは私だけだろうか。



■まとめ

「飲料水」「乳児用食品」「牛乳」「一般食品」
新たな4つの食品区分の基準値は、このようにして定められた。

この結果、食品からの実際の被曝量はどの程度になりそうか、報告書の中で推計されている。
それによると、以前の基準値のままだと年間0.051ミリだったものが、新しい基準値にすることで年間0.043ミリに抑えられるという。
その差、0.008ミリシーベルト

このような結果になるのは、そもそも基準値がどうあれ、食品から実際に検出される値は基準値を大きく下回り、かつ減り続けているからだが、この基準値強化の実際の効果である年間0.008ミリシーベルト
この0.008ミリシーベルトの違いを大きいと見るか小さいと見るかは、個人の評価の分かれるところだろうか。


ここまでの要点をかいつまんで箇条書きにすると以下のようになる。

・年間5ミリから年間1ミリへと引き下げられた
・年間1ミリへの引き下げの根拠は、コーデックス委員会でそうなっているから
・年間1ミリへの引き下げに当り、これまでのような費用対効果計算は行われていない
・モニタリング結果から推計される実際の被曝量は年間0.1ミリ程度。流通している食品を購入して調べると年間0.02ミリ程度
・報告書には「これまでの基準値でも安全性は十分確保されている」旨が明記
・年間1ミリについては、「実際のモニタリング結果に基づく被ばく線量」ではなく「計算上の被ばく線量(介入線量)」で考えられた

・飲料水の新基準値は10Bq/kg。その根拠はWHOでそうなっているから
・ちなみに飲料水のモニタリング結果では、かなり早い段階から検出されていない

・一般食品の新基準値は100Bq/kg
・これは食品汚染率50%での計算結果。コーデックス委員会やEUの汚染率は10%。汚染率を高めるほど基準値は厳しくなる
・100Bq/kgは13〜18歳(男)の数字が元。1歳未満は460Bq/kg、1〜6歳は310〜320Bq/kg
・年齢ごとの感受性の違いについては、以前の基準値と同様、線量係数の段階でも考慮されている

・乳児用食品と牛乳の新基準値は50Bq/kg
・これは食品汚染率100%として、一般食品の100Bq/kgを半分にすることで作られた
・子供用に設けられた食品区分だが、子供の計算結果である460Bq/kgや310〜320Bq/kgからは導かれていない

・基準値強化による実際の被曝量の低減効果は、年間0.008ミリシーベルトと推計



■感想

さて、全体を通しての感想だが、この新しい基準値は相当厳しいと思う。
基準値の導出過程を見て分かるとおり、この基準値には相当の安全余裕が含まれている。

繰り返しになるが、

飲料水ではかなり早い段階から検出すらされていないのに、新基準値は10Bq/kgとされた。

一般食品の汚染割合は、コーデックス委員会やEUでは10%で、汚染割合を高めるほど基準値は厳しくなるが、日本の新基準値は汚染割合50%で計算された。
ちなみに昨年10〜12月の段階で100Bq/kgに達していた食品は2%程度。

乳児用食品・牛乳の場合、同じく昨年10〜12月の段階で50Bq/kgに達していたものは0%だったが、新基準値は汚染割合100%で考えられ、一般食品の100Bq/kgを半分にすることで作られた。
100Bq/kgは13〜18歳(男)の数字が元で、子供は310〜460Bq/kgなのだが、13〜18歳(男)の数字を半分にしたものが子供用の基準値とされた。

そもそも、実際の被曝量は年間0.1ミリや0.02ミリ程度で既に1ミリを充分下回っており、報告書にも「安全性は十分確保されている」旨が明記されているが、「実際のモニタリング結果に基づく被ばく線量」ではなく「計算上の被ばく線量」で年間1ミリが考えられた。

このように、安全に安全を重ねて作られた基準値で、私としては相当厳しいと思う。
これは、他の基準値と比べればよりハッキリするだろう。

・日本 (汚染割合50%)
飲料水  :  10 Bq/kg
乳児用食品:  50 Bq/kg
牛乳   :  50 Bq/kg
一般食品 : 100 Bq/kg

コーデックス委員会 (汚染割合10%)
乳幼児用食品:  1000 Bq/kg
一般食品  :  1000 Bq/kg

・EU (汚染割合10%)
飲料水   : 1000 Bq/kg
乳幼児用食品:  400 Bq/kg
乳製品   : 1000 Bq/kg
一般食品  : 1250 Bq/kg

確認だが、日本もコーデックス委員会もEUも、目指すところは同じ年間1ミリだ。
年間1ミリというのは同じでも、計算条件の置き方で、結果としての基準値にこれだけ大きな差が出る。
逆に言えば、日本の基準値は相当厳しく条件を見込んだ結果と言えるだろう。
この基準値で、健康に影響が出るとは思えない。


ところで、そもそもの疑問なのだが、どうしてこのような厳しい基準値を設定する必要があったのだろうか。
誰の為に、何の為に、このような厳しい基準値が必要だったのだろうか。

「これまでの基準値でも安全性は十分確保されている」旨が明言され、以前の基準値では年間0.051ミリだったものが、新しい基準値にすることで年間0.043ミリになる。
元々、十分安全だったものを、さらに0.008ミリ減らすことで、どのような意味があるのだろうか。


私としては、この基準値強化は、『安全』を確保することにはほとんど意味が無いと思う。
今までも安全は確保されていたし、新基準値にしても安全性は大して向上しない。
年間0.008ミリなど、ほとんど個人間の誤差レベルの数字だろう。

私としては、この基準値強化の意味は、『安全』を確保することでは無く、『安心』のためにあるのだろうと思う。
「暫定」や「500」や「200」といった表面的な文字を批判する声。
「子供と大人が同じ基準値なんておかしい」「子供の基準値は大人よりも小さくして」と、やはり表面的な数字を見て反発する声。
基準値の意味合いや、子供への影響も考慮していることを理解せず、表面的な部分で批判し反発する声。

そういう声に向けて、数字を小さくしました、子供の基準は大人よりも厳しくしましたと、そう言うための基準。
『安全』ではなく『安心』対策のための基準値強化だったのではないかと思う。
この基準値強化に意味があるとすれば、それは『理性』の面ではなく、『感情』のためにあったのだろう。


もっとも、さすがと言うか、厚労省の論立てとしては、この基準値強化について説明できるようにはなっている。
食品汚染割合の50%にしても、一応の理由付けはなされている。
このあたりの用意はさすがと言いたいが、それでも疑問点はあるし、現に、文科省放射線審議会の方では、そのあたりの疑問点がだいぶ追及されてもいたようだ。

年間1ミリを妥当としたことについて、厚労省の部会では『合理的に達成できる限り線量を低くし、また国民の安全・安心を確保する』が理由とされていた。
これはALARA原則(合理的に達成可能な範囲でできる限り低く)を引いているのだが、ここで言う「合理的」には、コストと効果の兼ね合いが妥当か、という意味も含まれる。

以前の基準値計算では、このコストと効果の兼ね合いを確かめる計算が行われた上での基準値だった。
今回の新しい基準値では、この費用対効果計算は行われていない。
果たして、費用対効果計算を行うと、今回の基準値は支持される結果になるのだろうか。
私としてはそこが気になる。

『分かっている事』を無視する『分かっていない声』

福島県教委:「原発の是非に触れるな」と指示 現場は混乱
 文部科学省が作成した放射線教育の副読本 東京電力福島第1原発事故を受け、全国に先駆けて放射線教育を実施している福島県教委が、原発事故やそれに伴う被ばくに触れない国の副読本から逸脱しないよう教員を指導していることが分かった。「原発の是非に触れるな」とも指示。学校現場では、指示通りに教えると被ばくに不安を抱く親から批判され、危険性に言及すると違う立場の親から苦情が来るといい、実情に合わない指導で混乱も生じている。放射線教育は4月から全国で始まる見通しで、同様の事態の拡大も懸念される。【井上英介】

 福島県内の放射線教育は、小中学校で週1時間の学級活動を使って計2〜3時間教える形で、郡山市会津若松市などの一部の学校で実施されている。
 県教委は実施前の昨年11月以降、県内7地域で各校から教員を1人ずつ集めた研修会を開いた。参加した教員によると、指導主事から「副読本に沿って教えよ」「原発には中立的な立場で」などと指導を受けた。会場から「被ばくのリスクや原発事故を子供にどう説明するのか」など質問が出たが、何も答えなかったという。
 研修を受けた教員は「副読本は放射線が安全だと言いたげで、不安に苦しむ住民は納得できない。県教委に従えば、県議会が県内の原発廃炉を求めて決議し、県が廃炉を前提に復興計画を作ったことにも触れられない」と疑問を示す。
 小中学校の教員で組織する福島県教組によると、親の間では被ばくの影響について見方が割れ、学校や教委に「放射線の危険性について認識が甘い」「不安をあおり、過保護にするな」など正反対の苦情が寄せられている。放射線量が高い地域の小学校教諭は「親の意向で弁当を持参して給食を食べず、屋外での体育を休む児童がいるが、他の親たちに批判的な空気も生まれるなど厳しい状況にある。副読本や県教委の指導は福島の現実に即していない」と指摘する。
 県教委学習指導課は「大半の教員は放射線の素人で、教え方がばらついても困るので副読本に沿うようお願いしている」と話す。
 副読本を作成した文部科学省開発企画課は「地域や教員によっては物足りないと感じるかもしれないが、自治体教委の要請もあり、放射線について最低限必要な知識を伝えるために作った。使うも使わないも自治体教委の自由だ。来年度も作ることになれば、意見を踏まえて充実させたい」と説明している。

 ★放射線教育の副読本 文部科学省が小中高校別に3種類作り、A4判18〜22ページ。「100ミリシーベルト以下の被ばくでがんなどになった明確な証拠はない」としつつ「被ばく量はできるだけ少なくすることが大切」とし、中高生には防護や避難の一般的方法も説く。だが、福島第1原発事故への言及は前書きのみで、事故の経過や放射性物質汚染の広がりなどは書かれていない。その一方で放射線が医療や工業、学術研究で役立っていることを強調している。
http://mainichi.jp/photo/news/20120322k0000m040159000c.html

この手の話題になると、『放射線のリスクには分かっていない部分がたくさんある』という声が出る。
これに対し私は、一方では分かっている部分もたくさんあるのに、それについてあまり触れられないのはどうしてだろうか、と毎回のように疑問を覚える。

『分かっていない』という部分が強調される割には、分かっていることについてはほとんど触れられない。
例えば、100mSvの被曝で0.55%のがん死リスクの上昇、という有名な分かっている数字がある。

この数字の意味するところは、100mSv受ければ一生涯でのがん死リスクが0.55%上昇する、というごく単純な話なのだが、『分かっていない』ことを強調する人の発言を聞いていると、少しの放射線でも高い確率でがん死してしまうかのような、そのような印象にさせられてしまう。

しかし書いたように、例え100mSvを受けてしまったとしても、生涯で0.55%の上昇でしかない。
100mSvにも達しないような、10ミリとか5ミリとかいった数字では、どう考えたとしても0.55%を超えるはずも無いのに、『分かっていない』を強調する声を聞いていると、まるで50%とか80%とか、そういう高い確率でがん死してしまうかのような印象にさせられてしまう。
これに、私は凄い違和感を覚えている。

放射線の影響は完全には解明されておらず、分かっていないことがあるのは確かだ。
しかし一方では、分かっていることもたくさんある。


例えば、“100mSvで0.55%”という数字については、広島・長崎原爆の、ごく短時間に100mSv以上受けたケースが下敷きになっている。

細胞のDNAには修復機能が元から備わっているので、同じ線量でも一瞬で100mSvと長期間で100mSvでは、長期間に受けた方が影響が小さくなることも分かっている。

また、いわゆる“放射線はどんなに少量でも影響がある”という考えの背景になっているLNT仮説(しきい値なし直線モデル)は、ショウジョウバエの“DNA修復機能を持っていない細胞”を使った実験が根拠になっているのも、これも分かっていることだ。

このショウジョウバエの実験は1927年に行われたもので、この時代にはDNAが高い修復機能を持つことがまだ理解されていなかった。
DNAの高い修復機能が理解されるようになった現代では、この実験結果はそのまま当て嵌まらず、実のところ“放射線はどんなに少量でも影響がある”という説の前提は崩れているわけだが、ともあれ、LNT仮説を採用しておけば放射線リスクを小さく見積もり過ぎることは無いだろうとの理由で、ICRPなどはLNT仮説を採用している。

つまり、LNT仮説(しきい値なし直線モデル)が現在でも採用されている理由は、とりあえずそれを採用しておけば放射線リスクを過少評価することは無いだろう=例え放射線リスクが想定より大きかったとしてもLNT仮説を超えることはないだろう、という公的機関チックな防護的な理由からであって、実際に“放射線はどんなに少量でも影響がある”と考えられているからではない。

そんなわけでICRPなどは、100mSvを下回る線量については実証が不可能なほどの小さなリスクでしかないとして、“不明”としている。
これもよく“不明”という言葉だけ抜き出されて、強調して語られることが多いわけだが、ここで言う“不明”の意味は、「どれだけ大きいか見当もつかない」という意味での“不明”では無く、「どれだけ小さいか示すことも出来ない」という意味での“不明”だ。
こういったことも、放射線について『分かっていること』の一つだ。


ところが、『分かっていない』人の発言を聞いていると、分かっていることはまるで無いかのような語られ方をし、放射線リスクは際限無しであるかのようなイメージにされられ、100mSvで0.55%という、ごく基本的な『分かっていること』でさえも忘れ去られてしまう。

そして、人によっては底なしの不安に落し入れられ、際限無しの不安を抱えながら生活を送ることになってしまう。

たとえ5ミリや10ミリ浴びたところで、0.55%を超えることは無いはずで、むしろそれよりずっと小さいはずなのに。
『分かっていない』という声を聞いていると、たとえ100mSvでも0.55%なんだという、ごく基本的な『分かっていること』でさえも無かったことにされてしまう。

『分かっていない』ことがあるのは確かだが、それが強調されることで『分かっていること』でさえも無視されてしまう。
そういう状況に、私は物凄い違和感を覚えている。


今回の副読本の混乱にも、そういう問題点が多く含まれているのだろう。
放射線リスクに関して『分かっていること』は、他にもまだまだ多いが、とりあえず、“100mSvで0.55%”という数字は短時間に100mSv以上あびたケースが下敷きであること、同じ線量でも長期間に受ける方が影響が小くなること、“放射線はどんなに少量でもリスクがある”という考えは“DNA修復機能を持っていない細胞”の実験結果であること、100mSv未満のリスクが“不明”とは「どれだけ小さいか示すことも出来ない」という意味での“不明”であること、こういったことが、放射線リスクに関して『分かっていること』だ。


『分かっていない』ことを強調する声は今でも根強い。
確かに分かっていないことはあるのだが、『分かっていない』を強調する声は、こうした『分かっていること』をきちんと伝えているのだろうか。

分かっていないことがあるのは確かだが、今の様々な基準というのは、こうした『分かっていること』を踏まえて、それにさらに安全余裕を加える形で作られている。

『分かっていない』を強調する声は、むしろ『分かっている』ことすら無視させる語り口になってはいないだろうか。
私は甚だ疑問を覚える。


今回の副読本の混乱にも、こういう問題点が背景にあるのだろう。
「子供にも分かりやすい副読本を作れ」という主張は全員の耳に聞こえやすいとしても、総論賛成・各論反対の現状では、副読本を作るといっても苦労が絶えないのだろう。

そんな状況では、両方の主張を併記すると言うのも、一つの方法かもしれないね。

例えば、

『人工放射線と自然放射線は違う』
放射能によってα・β・γといった違いがあるだけで、人工も自然も同質です』

『自然放射能は安全だが、人工放射能は危険』
『自然放射能ラドンでもウランでも健康被害は起こります。一方で人工放射能セシウムでも少なければ健康被害は起こりません。大切なのは自然か人工かではなく、その量の問題です』

『同じ被曝でも、外部被曝より内部被曝の方が危険』
『被曝による影響は、放射線から受けるエネルギーの程度に左右されるので外部も内部も違いありません。と言うか「シーベルト(Sv)」という単位自体が、エネルギーの影響に着目して放射線の種類が違っても同列に評価できるように考え出された単位なので、外部被曝の100mSvも内部被曝の100mSvも同じです。これが違うと言うのは、絹1kgと鉄1kgでは鉄1kgの方が重い、と言うようなものです』

『人工放射能は微量でも取り込めば危険。がんで死ぬ』
原発事故が起きる前から日本国中で人工放射能が検出され、私達はそれを食べ、すでに体内に含まれてもいましたが、特にそのせいで死んだとするデータはありません』

セシウムは心臓に蓄積すると心筋梗塞の危険性がある』
『その論文はデータの取り扱い方が不適切で、現在の学会では多くの賛同を得られていません』

セシウムは膀胱に蓄積すると膀胱がんの危険性がある』
『その論文もデータの取り扱いが不適切です。その論文の主張が正しければもっと多くの膀胱がんが確認されるはずなのに、実際は確認されていません。他にもツッコミどころはありますが以下省略』

ストロンチウムプルトニウムは超危険。少しでも食べればがんで死ぬ』
原発事故が起きる前から日本国中でストロンチウムプルトニウムも検出され、私達はそれを食べ、すでに体内に含まれてもいますが、特にそのせいで死んだデータはありません』

『被災地のがれきを受け入れると人工放射能が拡散する。がんで死ぬ』
『8000Bq/kg以下の廃棄物なら、直接作業する人の被曝量も1mSv以下に抑えられるので問題ありません。ちなみに直接作業するわけでない、周辺住民の人の被曝量はもっとずっと小さく0.01mSv以下です』

『いや違う。人工放射能を拡散させることが問題なんだ。子供が少しでも取り込んだらがんで死ぬ』
『実は海水にはセシウムプルトニウムも含まれています。海水浴に行って海水をゴクンとやればセシウムプルトニウムを取り込みます。これが危険だなんて聞いたこともありません。結局は量の問題です』

といった感じで。
まぁ、小学生に両論併記は難しいかもしれないけど、分からなくてもこれを家に持ち帰って、両親に読んでもらって、判断してもらえばそれでもいいかもね。

まぁともかく、『分かっていない』と強調する声は多いが、じゃあどこまでが分かっていて今の基準はどういう『分かっている』ことに基づいて作られているのか、それをキチンと説明する『分かっていない』声には、まずお目にかかることがない。


※ちなみに、海水にセシウムストロンチウムプルトニウム・ウランが含まれていることについてはここの最後の表を参照。
http://d.hatena.ne.jp/akatibarati/20120304/1330850624

原発事故が起きる前の放射能

私の日記ではこれまでに度々、
原発事故が起こる前から、セシウムストロンチウム、それにプルトニウムだってその辺にあった」
ということを書いてきたのだが、沖縄での雪騒動などを見ると、そういうことがまだまだ知られていないんだな、ということを実感させられる。
そこで、ここで改めて、原発事故が起こる前の放射能の状況を概観してみる。

データ元は、例によってここ(環境放射線データベース.http://search.kankyo-hoshano.go.jp/servlet/search.top)。
ここから、期間としては2005年以降(データの無い一部を除く)、試料としては降下物・土壌・海水・農林水産物・牛乳・日常食、核種としてはセシウム137・ストロンチウム90、それに分析結果や検出値がある場合はプルトニウム239+240について調べた。
なお、表中の「ND」は不検出を、「−」は分析値が無いことを示す。

それと、データは本当に膨大にあるので、ここでは全国の分析結果から、検出された値の最小値・平均値・最大値を拾い出すことにした。
細かく見ていけば都道府県ごとに調べられるので、興味のある人は自分でより詳しく調べられる。

それでは数字を見ていくが、いきなりだが日常食から行ってしまう。
もうこれでほとんど、結論のようなものが出てしまうのだが。

ところで、ここで言う「日常食」とは何かと言うと、一般家庭で普通に作った1日分の食事を分けてもらい、それを分析したもの。
つまり、私たちが何も気にせず、普通に食べている1日分の食事。
言葉そのままの「日常食」ということになる。

○日常食(Bq/人日)

試料年度セシウム137ストロンチウム90
最小値平均値最大値最小値平均値最大値
日常食20050.00710.0310.170.020.040.1
20060.00850.0420.560.0210.0390.091
20070.010.0280.0660.0220.0370.1
20080.008110.0250.10.0240.0360.056
一見して分かるとおり、セシウム137もストロンチウム90も検出されている。
2008年の数字では、1日分の食事から、セシウム137を0.025Bq、ストロンチウム90を0.036Bq取り込んでいたことになる(平均値)。
つまり私達は、原発事故が起こる前から日常的に、セシウム137もストロンチウム90も食べていたし、もちろん体の中に含まれてもいる。
当然、取り込んだセシウムストロンチウムからの被曝もしている。

例えば、ストロンチウム90の0.036Bqとは、約28秒に1回、ストロンチウムからのベータ線を受けることを意味する。
1日で取り込む量でこれだから、一ヶ月、30日間も経てば、取り込む量は1Bqを超える。
(Sr90の実効半減期は18.3年だから、ここでは減衰分は割愛する)
1Bq(ベクレル)とは、1秒間に1本の放射線が出ることを意味するのだから、つまりは、誰の体の中でだって1秒間に1本以上、ストロンチウム90からのベータ線照射を受けていることになる。
(手間なので計算していないが、真面目に計算すれば、1秒間に1本どころではなく、数十本のベータ線になると思う)

世の中には、「ストロンチウムが体内に入れば骨に蓄積して長期間被曝する」などと言って、恐怖を煽る声がある。
そのような声は、原発事故が起きる前は、世の中がまるで放射能の無い世界で、僅かでもストロンチウムを取り込むことは異常なことだ、といった煽り方をするのだが、ここで確認したように、原発事故が起きる前から、普段の食事の中にストロンチウム90は含まれていた。当然、誰の体の中にもある。

原発事故があっても無くても、誰の体にもストロンチウム90はあって、1秒間に数十本のベータ線照射を受けている。
原発事故が起きる前からそういう事実はあったが、私たちは健康に暮らしてきたし、そもそも、そんなこと気にしてもいなかった。

「僅かでも体に入れば大変危険」論は、そういった事実を無視して、いたずらに恐怖感のみを強調するもので、悪い言い方をすれば悪質だし、良い言い方をしたとしても無知としか言えない。

放射能フリーとかゼロベクレルとか、そんなものは理論上・概念上にしか存在しない、幻想にしか過ぎないのであって、そんな言葉で他人を不安に陥れるとしたら、私に言わせればそれは悪質な扇動と言うほか無い。


さて、のっけから日常食を見てしまって、既に結論めいたものは見えてしまっているのだが、次は農林産物を見てみる。
日常食にセシウムストロンチウムが含まれていたということは、当然その材料に含まれていたからそうなったわけで、やはりと言うか当然と言うか、農林産物からも検出されている。
ちょっとデータ量が多いので、ざざっと眺めてもらえればいいだろう。

○農林産物(Bq/kg)

試料年度セシウム137ストロンチウム90
最小値平均値最大値最小値平均値最大値
穀類20050.00720.0620.290.00260.0330.117
20060.00520.060.220.00520.0340.096
20070.0130.0760.290.00580.0350.126
20080.0120.0910.450.00480.0430.154
20090.0110.0810.360.00630.0290.066
葉菜類20050.0140.171.330.0190.110.67
20060.0070.0810.60.0230.10.53
20070.010.0540.320.020.10.41
20080.0150.0450.10.020.0950.35
20090.010.171.20.020.0930.35
根菜類20050.0110.0640.220.020.0920.54
20060.0150.0620.2110.020.0750.36
20070.0170.0370.120.0170.0770.19
20080.010.0490.170.020.0680.44
20090.0150.0570.170.020.0690.33
20050.0360.0610.110.070.331.3
20060.0150.0530.110.0330.331.4
20070.0230.0530.110.020.351.5
20080.020.0330.0450.0320.371
20090.030.0670.170.0290.220.98
果実類20050.00940.0220.0570.040.040.04
20060.00870.0220.0590.030.030.03
20070.00650.0260.0730.030.030.03
20080.00970.0220.0730.030.030.03
20090.00980.020.0330.050.050.05
飼料
作物
20050.140.520.90.060.240.56
20060.030.170.50.070.270.6
20070.060.230.40.090.250.49
20080.090.30.50.110.270.6
20090.120.120.120.060.180.39
コメ・野菜・お茶に果物。
あらゆるものに、セシウムストロンチウムが含まれている。
このようなものを材料に作られた食事(日常食)にセシウムストロンチウムが含まれていたのも、当然と言えば当然のことだろう。

さて、ここで一つ注目しておきたいのは、表の最後の方、「飼料作物」からも検出されているということ。
飼料作物とは牛や豚などの家畜の餌にする作物のことだから、これらの飼料を餌に育った牛や豚にも、当然ながらセシウムストロンチウムが移行していることを意味する。
まぁ、過去の核実験で世界中に散らばっていることを思えば、考えるまでも無いことなのだが、放射能フリーとかゼロベクレルとか、そんなものはありはしないということがここからも確認できる。


次に水産物を見てみる。

水産物(Bq/kg)

試料年度セシウム137ストロンチウム90プルトニウム239+240
最小値平均値最大値最小値平均値最大値最小値平均値最大値
魚類20050.0240.0990.2240.020.0270.04NDNDND
20060.0220.0980.280.020.0480.088NDNDND
20070.0270.10.360.010.030.052NDNDND
20080.0190.10.370.020.0290.04NDNDND
20090.020.157.20.020.0290.036NDNDND
貝類20050.0160.0270.04NDNDND0.00250.0130.042
20060.0150.0270.0620.020.0290.0370.0020.0170.057
20070.0120.0240.0350.030.030.030.00260.0130.056
20080.0120.0260.040.030.0330.0360.0020.0120.042
20090.0150.0250.0380.020.0220.0230.00290.0140.054
藻類20050.00980.0710.140.020.0490.140.000690.00590.046
20060.0180.0650.120.020.0540.190.000780.00660.041
20070.0150.0650.20.020.0510.130.000720.00840.095
20080.0140.0610.30.020.0470.0970.00160.00720.034
20090.0150.0610.140.0150.0450.110.00160.0090.035
ここでもやはり、魚に貝に海草と、あらゆるものから検出されている。
水産物で興味深かったのは、貝類や海藻類で、比較的はっきりとしたプルトニウムが確認できること。
私達は貝や海草を食べて来ているのだから、当然ながら、プルトニウムは体内に移行している。
私達の体内には既にプルトニウムが含まれている。
それは言うまでも無い事実なのだが、そういった事実がよりハッキリとイメージできるのが、この数字だろう。

ところで、魚類に関してはプルトニウムは不検出が多い。
ただこれも以前の日記で書いたとおり、不検出はゼロであることを意味しない。
単に魚類に含まれていたプルトニウム量が、現在の分析技術では見つけられないレベルであったということであって、魚にはプルトニウムがゼロであったことは意味しない。
貝や海草を餌にしている魚もいることを思えば、当たり前のことではあるのだが。
不検出だから放射能がゼロ、と短絡することは出来ない。
何度でも言うが、放射能フリーとかゼロベクレルとか、そんなものはありはしない。

ところで、念の為に付け加えておくが、貝や海草からプルトニウムが検出され、私達が既にそれらを取り込んでいるからと言って、だから危険だと言う話にはならない。
危険かどうかとは、体に害を与えるレベルの量かどうかで判断されるものであって、有るから危険、無いから安全とか、そういう有る/無しという、イチかゼロかの思考で単純に判断できるものでは無い、ということは、私の日記ではこれまでに何度も書いてきているところ。

ちなみにこれに関しても、「猛毒のプルトニウムは一粒でも体内に入れば危険」といった類の危険論があるわけだが、ここで確認したように、誰の体の中にも、既にプルトニウムはある。
それも一粒なんていうレベルでは全然無く、原子の個数で言えば数億〜数百億のオーダーにはなるだろう。
(参考:ここの中にプルトニウムの原子個数の計算結果ありhttp://d.hatena.ne.jp/akatibarati/20120217/1329476795

原発事故が起こる前から、誰の体内にも数億〜数百億個のプルトニウムはあり、当然、それからのα線も被曝している。
だけど健康被害など出ておらず、みんな健康に暮らしてきた。
「猛毒のプルトニウムは一粒でも体内に入れば〜」という危険論が、いかに無知に基づくものかが分かるだろう。


さて次は牛乳を見る。

○牛乳(Bq/L ; Bq/kg)

試料年度セシウム137ストロンチウム90
最小値平均値最大値最小値平均値最大値
生乳20050.00690.0440.2060.01030.030.0721
20060.01030.0350.12360.01030.0310.08343
20070.00670.0390.50.01030.030.05974
20080.00930.0340.170.010.0270.05253
20090.010.0320.10.0110.0250.04
脱脂乳20050.620.871.20.270.360.44
20060.10.591.20.160.280.42
20070.0660.380.960.130.250.4
20080.0580.431.20.140.250.37
20090.120.560.940.190.250.31
粉乳20050.0790.150.310.0210.0510.11
20060.0370.130.410.0320.0710.094
20070.0570.0740.0850.0290.0570.095
20080.0420.10.270.0250.0410.068
20090.0170.110.350.0210.040.065
やはりこちらでもセシウムストロンチウムが確認されている。
以前の粉ミルク騒動の時にも触れたが、核実験が盛んだった1960年代には300Bq/kgという値の粉乳も確認されている。
近年はさすがに少なくなってはいるが、それでも検出自体はされている。


とりあえず、ここまでが食品関係の数字。
ここまで見てきて明らかなように、あらゆる食品に、セシウムストロンチウムプルトニウムが含まれている。
当然、それらを材料に作られた食事にも含まれているし、私達の体内に含まれてもいる。
放射能フリーとかゼロベクレルとか、そんなものはありはしないとは、こういうこと。


さて次からは環境中の数値を見ていく。
環境中の数字としては、とりあえず降下物と土壌、それに海水を拾い出してみた。
まずは降下物から。

○月間降下物(Bq/m2)

試料年度セシウム137ストロンチウム90
最小値平均値最大値最小値平均値最大値
月間
降下物
20050.0030.10.50.0020.0580.3
20060.0020.0971.510.001270.0580.35
20070.00170.0820.620.001570.0590.26
20080.00120.0610.210.000940.0660.23
20090.0190.156.50.0330.0830.22
降下物についても、セシウムストロンチウムも確認されている。
ここで降下物の分析というのは、空から落ちてきた塵や埃などを集めて分析するので、逆に言えば地上からの舞い上がりなどの影響も含まれるわけだが、別な数字にはなるが気象研究所などによると、黄砂の時期に合わせて季節的な変動が確認されているので、やはり現在でも、確かに空から降っていると言える。

そんなわけで、ここに掲げた数字は、確かに今でも、空からセシウムストロンチウムが降っていることを示す数字と言うことが出来るだろう。


次に土壌だが、核実験により全世界中にバラ撒かれたわけだし、今現在でも降っているのだから、土壌から検出されるのは当然、というわけで、水田・畑・草地など、場所を問わず、やはりセシウムストロンチウムプルトニウムが確認されている。

土壌については参考までに、キログラム当り(Bq/kg)と平方メートル当り(Bq/m2)の、2種類の数字を載せてみたので、理解しやすい方を見て欲しい。
やはりセシウムストロンチウムプルトニウムも確認されているわけで、このような土壌で作られるコメや野菜に含まれるのも当然のことだろう。

○土壌(キログラム当り)(Bq/kg)

試料年度セシウム137ストロンチウム90プルトニウム239+240
最小値平均値最大値最小値平均値最大値最小値平均値最大値
土壌20050.612920.091.84.70.0530.624.2
20060.4210930.31.73.30.0440.584
20070.661079.50.41.83.50.0390.64.3
20080.69.874.50.31.73.60.020.331.02
20090.581070.80.021.53.60.090.360.94
水田20052.47.816.30.310.811.60.320.380.44
20062.47.3140.280.861.60.460.470.48
20072.57.715.70.30.851.230.360.370.37
20083.710220.410.831.60.330.380.43
20091112121.41.41.40.340.370.39
畑地20051.86.9230.261.55.30.0590.270.55
20061.56.8240.442.3110.0690.30.69
20071.68230.461.540.0590.320.66
20081.77.8180.41.22.70.0550.240.49
20091.85.6190.391.43.30.220.370.51
草地20050.3911600.312.48.50.0120.433.7
20060.2610770.262.39.20.0110.443.7
20070.319.2610.2928.60.0110.413.7
20080.229.6600.191.96.30.0120.423.5
20090.189.9530.211.96.2
○土壌(平方メートル当り)(Bq/m2)
試料年度セシウム137ストロンチウム90プルトニウム239+240
最小値平均値最大値最小値平均値最大値最小値平均値最大値
土壌200556230550220220220
200672190460120120120
200770150260130130130
20081004401400130130130
200920150810140140140
水田200064950250158120213
20013988022823892150
20021098802167
20031327502256
20042988002234
畑地200584430785211302402.71222
20067626045126831403.98.513
20077723038623671102.97.512
2008992203704069982.9813
200982240478194469
草地2005315703052101406900.581987
2006335303000131509100.8720110
20071455040002.31205600.2123170
2008135503100101206000.572196
20093157028007.2130630

次は海水。

○海水(mBq/L)

試料年度セシウム137ストロンチウム90プルトニウム239+240ウラン238
最小値平均値最大値最小値平均値最大値最小値平均値最大値最小値平均値最大値
海水20050.6623.811.72.80.00370.00490.009143043
20060.971.940.911.84.10.00260.00690.013263136
20070.81.93.90.811.63.60.00290.00480.0066233543
200811.93.90.781.320.00490.00590.0078
20090.831.940.911.32.10.0000120.00490.008
海水でも、セシウムストロンチウムプルトニウムが確認されている。
上で、魚・貝・海草といった海産物から検出されていることを確認したが、それにはこのような背景があるのだろう。
そもそも海の水自体にセシウムストロンチウムプルトニウムが含まれているのだから、そこで育つあらゆる海産物に含まれているのも当然ということ。

ちなみに海水については、参考までにウランの数字も載せておいた。
知っている人もいるだろうが、海水には元々、比較的多くのウランが含まれている(海水中からウラン燃料を作ろう、という考えもあるくらい)。
当然ながら、ウランからはα線が出る。

つまり、海水にはセシウムストロンチウムプルトニウム、それにウランも含まれているわけで、海に入って海水をゴクンとやれば、少しとは言えセシウムストロンチウムプルトニウム・ウランを取り込むことになる。
と言うか、海水をゴクンとやった経験を持つ人は多いだろうし、私にもある。
つまりは、誰の体にも放射能は含まれているし、そこから被曝してもいるということ。
今この時も。

原発事故後、「子供を被曝させるのか」とか「福島に行くと被曝する」といった声が聞かれるようになったが、地球上の全員が被曝しているし、地球上のどこにいても被曝する。
そもそもは、被曝を特殊なもの、珍しいものと考えること自体が間違いなのであって、被曝は珍しくも何とも無い。
単に今まで気にしてこなかっただけの話であって。
どれだけの量を被曝するかという、量の概念が大切なのであって、被曝する/しないという、イチかゼロかの思考には何の意味も無い。


さてこのように、セシウム等は今でも降っているし、土壌にも海水にも広く含まれている。
そのような土で作られた野菜、そのような海で獲れた魚にも含まれているし、当然、それを材料にした食事にも含まれてくる。

こうして、普段の食事である日常食からも検出されるという、最初の話に戻ることになる。
当然、私達の体にも既に含まれているし、そこからの被曝もしている。
放射能フリーとかゼロベクレルとか、そんなものは原発事故が起こる前からありはしない。

「僅かでも放射能があると危険」と言う人がいる。
だが、僅かな放射能など、この世の中に満ち満ちているし、既に私達の体にも含まれている。
「僅かな放射能でも危険」と言う声が、いかに無知で、いかにイメージだけに基づくものか。
それがよく分かるのではと思う。

危険とは、体に害を与えるレベルの量かどうかで判断されるものであって、有るから危険、無いから安全とか、そういうイチかゼロかの思考で単純に判断できるものでは全く無い。


【追記 その1】
本来このエントリは、ゼロベクレルとか放射能フリーとか、そういった科学的にはあり得ない、「放射能は微量でも危険」という声に対し、別の見方を提供するという趣旨で書いた。
なので、「今の放射能は事故前の○倍!」という方に話が流れて行くのは趣旨と違って困惑してしまうんだが、仮にそういう方へ話が流れていくとしても、大切なのは単に○倍!と騒ぐことではなくて、その数値が体にどれだけの影響があるかを評価することが重要だと言うこと。

別に10倍でも100倍でも1000倍でもいいのだが、正直言って、単に100倍とか1000倍とか言うだけでは、それ自体では大して意味は無い。
100倍あったらどうなのか、1000倍だったらどうなのか、そういう、影響の評価を行って始めてその数字は意味を持つ。
単に○倍!と言うだけでは、放射能が有る/無いで騒ぐのと似たような、意味が無い行為だと言える。
(マスコミは○倍!と騒ぐのが好きだが)

※例えば上の表の数値で言えば、魚類の数値には7.2Bq/kgというものもあれば0.02Bq/kgというものもある。
仮に1000倍だとすると、前者は7200Bq/kgとなるが後者は20Bq/kgでしかなく、両者の評価は全く違うものとなる。
そんなわけで、単に100倍や1000倍と言うだけでは意味が無い。


ちなみに、その評価に触れた話としては、参考までにこのようなものがある。
○新しい食品基準値の話
http://d.hatena.ne.jp/akatibarati/20120404/1333542701
○「検出」と「危険」じゃ意味が違う(粉ミルクの話)
http://d.hatena.ne.jp/akatibarati/20111206/1323192061

【追記 その2】
ところで、ここに挙げたのは2005年以降の数字なので、当然、相当少なくなっているときの数字となる。
核実験が盛んだった頃の放射能は、当然ながら、もっと多い。
参考としては、上の粉ミルクの話のリンクを参照のこと。

【追記 その3】
もう一つ、念の為に付言しておきたいのだが、このエントリを見て、
「事故前はゼロコンマ幾つまで測っていたのに、今の検出下限値は10Bqだ! ずさんだ! 国民の健康を軽視している!」
という方に話が流れて行かないことを祈る。

検出下限値と測定時間というのはバーターの関係にあるので、検出下限値を下げると測定時間は長くなるし、測定時間を短くするとどうしても検出下限値は上がってしまう。
セシウム137をゼロコンマ幾つまで測ろうとすると1サンプルに何時間もかかるし、ストロンチウム90やプルトニウムなんかはそれこそ1週間単位の時間が必要になる。

もし今この状況でゼロコンマ幾つまで測ることを求められたら、測定できるサンプル数は大幅に減ってしまうだろう。
今は限られた時間、限られた測定器で出来るだけ多くのサンプルを測り、検査の網を出来るだけ広く被せる必要があるので、ゼロコンマ幾つまで測る必要は無い。

実際のところ、この辺も放射能への理解度に左右されるわけで、放射能は微量でも危険と言う人はゼロコンマ幾つまで測れと言うかもしれないが、別にそんな問題じゃ無いでしょと思えれば、スクリーニングレベルとしては50Bqでも10Bqでも充分と言える。

と言うか、ゼロコンマ幾つまで測ると言っても、理論上は0.000000000……1ベクレル、といった数値も考えられるわけで、時間とコストを費やしてまでそんな数値を測ることに意味は無い。
放射能は微量でも危険論」では、結局のところ数値の定量的評価が出来ていないという意味で、「幾つまで測れば安全」との答えは示せないわけで、結局はこの辺りに微量でも危険論の限界が現れているものと思う。
(「微量でも危険」と言う以上は、例え0.000000000……1ベクレルでも危険なはず)

国の宝を使い潰す国

■自殺のワタミ社員、一転して労災認定(読売新聞 - 02月21日)
 居酒屋「和民」を展開するワタミフードサービス(本社・東京都大田区)の女性社員(当時26歳)が2008年に自殺したことについて、神奈川労働者災害補償保険審査官は「(自殺は)業務による心理的負荷が原因」として、遺族の労災申請を認めなかった09年7月の横須賀労働基準監督署の処分を取り消し、労災と認める決定をした。
 決定は14日付。
 決定書によると、女性社員は08年4月に入社し、神奈川県横須賀市の店に配属されて調理を担当。最長で連続7日間の深夜勤務を含む長時間労働や、休日に行われるボランティア研修に参加するうちに精神障害となり、入社から約2か月後の同年6月、自宅近くのマンションで飛び降り自殺した、とした。4〜6月の時間外労働時間は計約227時間だった。

昔々の戦争中の話。
イギリスの士官(軍隊のリーダー)は、インドなどの、植民地の兵士で構成された軍隊を率いた。
植民地で強制的に集められた兵だから、当然やる気は高くない。
不利になれば逃げ出すし、食料が少なければ真面目に戦わない。

こういう兵隊に戦闘力を発揮させるためには、作戦を考え補給を整え、兵士達のやる気を損なわないようにしないとならない。
だから、こういう士官達は、自然と指揮官としての能力が磨かれる。

いかに効率的な作戦を考えるか、いかに補給を整えるか、いかに兵士に休養を与えるか。
それが、軍隊の戦闘力に直結するのだから。


一方、日本の兵士は、やる気が凄く高い。
不利になっても逃げ出さないし、武器が無くても、食べ物が無くても、這いつくばってでも戦い続ける。
こういう兵士を率いる士官には、植民地軍を率いるような苦労は少ない。

作戦がマズくても、食料が無くても、休養を与えなくても、兵士達は必死で戦ってくれる。
だから指揮官達は、根性論や精神論を唱えるだけで戦闘力を発揮できる。
なので逆に言えば、指揮官としての能力はそれほど磨かれない。

むしろ、兵隊の尻を叩くとか気合を入れるとか、本来は下士官(現場主任)のやるような仕事を、士官達も自分の仕事だと錯覚するようになる。
結果的に、日本社会では、上から下まで根性論・精神論が幅を利かせると言うか、本来の意味でのマネジメント能力、指揮・経営能力が育ちにくくなる。

これは、日本の兵隊が優秀という、本来なら嬉しいことの結果としてそうなってしまうわけで、現場が優秀すぎるが故に優秀なトップが育たないというこの関係は、皮肉と言うほか無い。


さて、一見、ワタミ問題とは無関係に思えるこの話は、現代にも繋がっている。

日本の労働者が優秀という、本来なら喜ぶべきことの結果が、現場の主任から経営のトップまで根性論・精神論が幅を利かせ、ともすればそれが経営だと錯覚されることに繋がってしまっている。

ワタミとか言うタイプの会社も、そういう、根性論・精神論とマネジメントを取り違えた会社なのだろう。


逆から言えば、ワタミのような精神論的経営が許されてきたのは、日本の労働者が優秀であるからに他ならない。
罵倒されても給料が安くても、どんなに過酷な労働環境でも、這いつくばっても働き続ける。
そういう、世界的に見れば物凄く特殊なタイプの労働者の国であるからに他ならない。


他の国で、労働者をモノのように使い捨てれば、サボタージュされ訴訟を起こされ、会社の前でデモを起こされ、マトモに商売が出来なくなるのが関の山だろう。
日本という、労働者が奇跡的なまでに優秀で辛抱強い国だからこそ、ワタミのような稚拙な根性論・精神論的経営でもやってこれたのだ。


ワタミがここまでやって来れたのは、経営手法の中身以外にも、そういう日本の国民性、日本の労働者の優秀性に負うところも大きい。
ところが、それをまるで経営者の功績であるかのように勘違いし、労働者を使い捨てるようになると、大いなる錯覚と言うべきなのだろう。


「日本は資源の無い国だから、人材こそが国の宝だ」
などと言い、理想論を掲げて教育にまで手を出しておきながら、やっていることは人材の使い捨てというのは、大いなる矛盾だし、人材を宝とする日本においては、亡国へ向かう道と言うべきだろうか。


別記事では、このような話もある。
http://nikkan-spa.jp/157052

「従業員もストレスが溜まるせいか、モラル自体も低くなっていて社員がアルバイトにレイプまがいのことをするなんてこともありました。また、電車で痴漢した社員もクビにはならずに降格で他店に回されるだけとか、店長が売り上げをごまかして不正に給料を受け取っていても不祥事が外に漏れないようにするためか、大きなお咎めはありませんでした。」
(和民系列店元アルバイト)

「ランチタイムがある店舗だと、朝9時に入って翌朝6時までのシフトも普通にあった。だから、必然的に店に泊まりこむことも増えて、調理場は洗い場として洗髪歯磨き髭剃りは日常でした。ある店舗では店の近くに社員同士でお金を出しあって部屋を借り、仮眠部屋&やり部屋にしていたりしました(笑)。正直、表沙汰にならないのは、ワタミより巧妙に隠蔽しているからじゃないかと思う」
(某居酒屋チェーン店元アルバイト)

ここ数年、ワタミといった居酒屋チェーンが成長してきたことについては、

「民間の知恵」
「民間の活力」

などと言われて、テレビや雑誌などで持て囃されて来たわけだが、その民間の知恵や活力の現実の姿が、人材の使い捨てであり、違法行為の隠蔽や、不当行為の積み重ねであったとしたら。

輝かしく見えた民間企業の成功の本質が、労働者の悲しみの上に、根性論・精神論を唱えた経営者が胡坐をかいてきたものだとしたら、それはまさに、亡国への道と言わずして何なのだろうか。

散々に人材を使い潰してきた、あの戦争と、一体何が違うと言うのだろうか。

栄養失調で倒れる兵隊の前で、
「弾丸が無くなれば銃剣で、銃剣が無くなれば腕で、腕もなくなったら足で、足もやられたら口で噛みつけ」
と、延々1時間以上も演説し続けた能無し将軍と、一体何が違うのだろうか。

ワタミや居酒屋チェーンの成長は、優れた経営手法があったからだ、と言うのであれば。
成長の本質が、優れた経営手法の故だったと言うのであれば。
違う国へ行っても、その経営手法で成功できるはずだ。

イギリスへ行って、フランスへ行って、同じ経営手法でやってみるがいい。
その時こそ、本当に経営手法が優れていたからなのか、単に日本の労働者に甘えていただけなのか、それがハッキリするだろう。


※旧軍の士官が、作戦立案や兵器運用、補給確保に心を砕かなかったという趣旨ではありません。士気の低い植民地兵を率いることと、士気の高い日本兵を率いることを比較すれば、植民地兵を率いる方が、より兵士の戦闘(労働)条件に心を砕く必要があったし、士官の配慮もそこに多く割かなければならなかったとの趣旨です。

※旧軍の精神論・根性論については、貧しい者が豊かな者と戦わざるを得ない以上、物資を求めても無いものねだりで、結果として精神論・根性論を唱える以外に方策が限られていた、との面はもちろんあると思っています。ただ、豊かな国となった今の日本で、それと同じ手法を採る必要性は全く無いとの趣旨です。
そんなものは、貧しい者が豊かな者と争わなければならない場合の非常手段であって、豊かになった状況でもそれを部下に求めるというのは、単なる上層部の甘えに過ぎないとの趣旨です。

沖縄にはセシウムもストロンチウムも、プルトニウムだって既にある

■雪遊びイベント中止に=「放射性物質心配」の声―青森の630キロ無駄に・沖縄 (時事通信社 - 02月21日)
 那覇市海上自衛隊第5航空群(同市)は21日、23日に予定していた子ども向け雪遊びのイベントを中止すると発表した。雪は同航空群が青森県十和田市から搬送したが、沖縄県自主避難している父母らから、「放射性物質が含まれているのでは」と懸念する声が相次いだためという。イベントは2004年度から続く恒例行事で、中止は初めてという。
 イベント用の雪は約630キロ。八戸航空基地青森県八戸市)の訓練に参加した隊員らが16日、十和田市内で集めてP3C哨戒機で運んだ。搬送時と到着時の2回、放射線量を計測した結果、過去の平常値と同じ水準だったという。
 一方、那覇市には2月中旬ごろから、東日本大震災後に自主避難してきた人たちから、会場となる児童館や市に対し、中止を求める声が10件程度寄せられた。市は20日、児童館で説明会を開催。集まった約20人の父母らに対し、放射線量の測定結果を伝え、危険性はないとして開催への理解を求めた。
 しかし、参加者からは「雪に含まれた放射能が溶けて空気中に拡散するのでは」「放射能汚染を避けるため沖縄に避難している。少しでも放射能が測定されているなら中止してほしい」などの声が上がった。

またもやこういう騒動が起きたので、それでは、沖縄がどれだけ放射能フリーな場所なのか、過去の分析結果から確認してみよう。

ソース元は、1960年代から行われている環境放射能水準調査。
ここで、土壌に含まれるセシウム137、ストロンチウム90、プルトニウム239+240について調べてみる。
以前にも紹介したが、ここで調べられる
http://search.kankyo-hoshano.go.jp/servlet/search.top


さて、数字の中身だが、今回騒動が起きたのは沖縄の那覇市のようなので、那覇市における近年(2005年以降)の数字を見てみよう。

まずセシウム137からいくと、那覇市では、2005年に最大5.71Bq/kgが検出されている。
その後も、2008年に3.9Bq/kg、2009年に2.7Bq/kgといった数字が継続して確認されている。
ちなみに、Bq/㎡の単位も含めると、2006年の 878 Bq/㎡(13.5Bq/kg相当)が最大となる。

もちろん、調査年から明らかなとおり、これは原発事故が起きる前の数字。
過去の核実験や、隣国からの黄色い砂の影響により、原発事故が起きるか前から、那覇市でも既にセシウム137は確認されている。

残念ながら、この時点で、沖縄と言えども放射能フリーの場所では無かったことが明らかとなってしまった。

しかし残念なことにこれだけに留まらず、ストロンチウムプルトニウムも、既に那覇市では検出されている。
次はそれを見ていこう。

まずはストロンチウム90から。
ストロンチウム90は、2006年に最大1Bq/kgが確認されている。
やはりその後も継続して検出されており、2009年では0.55Bq/kgが検出されている。
ちなみにBq/㎡の単位では、2006年の 190 Bq/㎡(2.9Bq/kg相当)が最大となる。

そして、先程も書いたとおり、もちろん沖縄でもプルトニウムは確認されており、2005年の
0.21Bq/kgを最大として、2007年や2008年にも0.2Bq/kgという値が確認されている。
Bq/㎡の単位では、2006年の 31 Bq/㎡(0.5Bq/kg相当)が最大となる。


と、このように、沖縄の那覇市と言えど、残念ながら放射能フリーの場所では無く、セシウムストロンチウムも、プルトニウムですらも存在している場所であることが分かった。
もちろん、原発事故が起きる前、原発事故とは無関係に。


今回、この雪遊びイベントに反対した、首都圏などから“自主避難”していった人達は、このように言ったらしい。

「雪に含まれた放射能が溶けて空気中に拡散するのでは」

放射能汚染を避けるため沖縄に避難している。少しでも放射能が測定されているなら中止してほしい」


既に沖縄の土壌には、原発事故とは無関係に、セシウムストロンチウムプルトニウムも含まれている。
土壌にこれらが含まれている以上、風が吹いたり走り回ったりして砂埃が立てば、このうちの幾らかは当然、「空気中に拡散する」だろう。


また、「少しでも放射能が測定されているなら中止してほしい」とのことだが、原発事故が起きる前から、既に沖縄の土からは「放射能が測定されている」。

放射能汚染を避けるため沖縄に避難している」とのことだが、残念ながら、沖縄という場所も、放射能とは無縁の、放射能フリーの場所では無かったことになる。


この雪遊びイベントに反対した人達は、沖縄という場所も放射能とは無縁ではなく、原発事故が起こる前から、セシウムストロンチウムプルトニウムも、既に存在していた場所だと知ったらどうするのだろうか。


まぁもちろんのこと、何も沖縄だけに限らず、世界中のどこに行っても、セシウムストロンチウムプルトニウムが存在しているのが普通なのだが。
過去の核実験の影響によって。

もちろん、前回の日記に書いたとおり、例え「不検出」であったとしても、放射能がゼロであることを意味しない。
今の分析技術では、プルトニウム239原子が200億個あったとしても、検出することはできないわけで。

そんなわけで、既に我々人間の体の中にも、プルトニウムが0.037〜0.074Bq程度は含まれており、つまりは13秒〜27秒に1回は、体の中のプルトニウムからα線の被曝を受けている計算になる。
我々、地球上に住む人類は。


まぁ、既に多くの人が知るようになったとおり、放射能と言い出せば自然界に満ち満ちていて、地上で呼吸をすればラドンからα線を受けるし、雨が降ればラドンの娘核種が落ちてきてβ・γ線を受けるし、海に入ればα線を出すウランが含まれているわけで、放射能なんて何も特別でも珍しくも無い、地球が誕生したときからその辺に満ち溢れているものなんだが。

と言うか、こういう人達は放射能を何か特別なもののように考えているようだが、放射能自体は原子の自然状態の一つなわけで、言ってみればそれが自然の法則だし、自然の摂理の現れに過ぎないのだが。


「少しでも放射能が測定されているなら中止してほしい」
と言う人達は、
放射能が無い場所というのが、この世界には非現実的」
ということを知ったら、どうなるのだろうか。

それとも、知っているとか知らないとかそんな問題ではなく、単に感情的な問題に過ぎないのだろうか。
放射能はキライとか、放射能は許せないとか。
おそらくは、きっとそうなのだろう。

ただ、その感情に振り回される方は、いい迷惑だと思う。



【追記】
あと、この件をより深く理解するための別ニュースなどを。

○分析結果は「不検出」だった
16日に段ボール箱25個分の雪を運びこみ、那覇市内の基地の冷凍施設で保管していた。自衛隊放射線量を測ったが、検出されなかったという。降雪中のセシウム濃度を測定している青森県原子力安全対策課は「1カ月分の雪を溶かして濃縮しても、問題ないレベル」としている。
http://www.asahi.com/national/update/0221/SEB201202210017.html

○そもそも「分析結果を信用しない」らしい
那覇市は20日、市内の集会場で避難者に安全性を説明したが、「政府や自治体の説明は信用できない」といった意見が出て理解は得られなかった。イベントは今回が18回目の予定だった。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120221-OYT1T01116.htm

それと、“自主避難”だけど、福島からの自主避難と思われているフシもあるようだけど、ツイッター情報などによると、首都圏からの自主避難者も含まれている模様。